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「柬〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

柬の前後の文節・文章を表示しています。該当する13件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
新種族ノラ」より 著者:吉行エイスケ
Nora 生まれは、甫塞《カンボジヤ》国、プノンペン市。 父は、カンボジヤ華僑、現在、為替経紀《....
十二支考」より 著者:南方熊楠
》より出る時、何気なく尾が廻る、その尖《さき》を見て向う所を占う(アイモニエー『埔寨人風俗迷信記《ノート・シユル・レ・クーツーム・エ・クロヤンス・スペルスチシ....
十二支考」より 著者:南方熊楠
二郎竜八は、この竜頭太に傚《なろ》うて造り出されたものか、一八八三年版、ムラの『埔寨王国誌《ル・ロヨーム・ジュ・カンボジュ》』二に、昔仏|阿難《あなん》を従え....
十二支考」より 著者:南方熊楠
(『仏領交趾支那《コシャンシン・フランセーズ》雑誌』一六号に載ったエーモニエの『埔※《カンボジヤ》風習俗信記』一三六頁)。 かく、土|能《よ》く諸物の精力を....
十二支考」より 著者:南方熊楠
近類故このついでに孔雀の話を一つ申そう。一八八三年サイゴンで出たエーモニエーの『埔※《カンボジア》人風俗信念記』に次の話がある。ある若者、その師より戒められた....
十二支考」より 著者:南方熊楠
語で呼ぶだけ異なりとあれば北方に始まったのでないとある(一八八三年板、ムーラの『埔※《カンボジア》誌』一巻一五七頁参照)。十分断言しておらぬがまずは十二禽で歳....
王成」より 著者:田中貢太郎
いうのは、どうした方です。」 と問うた。すると老婆が答えた。 「もとの儀賓の王之だよ。」 王成は驚いていった。 「それは私のお祖父さんですよ。どうしてあな....
妾の半生涯」より 著者:福田英子
情を温めたき旨《むね》申し来るなど、心も心ならざるより、東京なる重井《おもい》に《かん》してその承諾を受け、父母にも告げて再び上京の途《と》に就《つ》きしは二....
赤格子九郎右衛門」より 著者:国枝史郎
の心を曳いた。その次に彼を驚かせたのは、少年の着ている衣裳であった。その衣裳には埔寨国の王室の紋章が散らしてある。 曾て、九郎右衛門は埔寨へも、一二度往復....
秀吉・家康二英雄の対南洋外交」より 著者:国枝史郎
× × 日本と南洋諸国、即ち呂宋、媽港、安南、東京、占城、埔塞、暹羅、太泥等と貿易をしたのは相当旧くからであるが、それらの国々へ渡航する....
鴎外博士の追憶」より 著者:内田魯庵
う実現されなかった。(この咄については『明星』掲載当時或る知人から誤解であると手して訂正されたが、これもまた鴎外自身の口から聴いたのだから、鴎外の思違いかも知....
東洋文化史における仏教の地位」より 著者:高楠順次郎
あります。シンガポールは「獅子城」という語でインドの言葉であります、カンボジャ(甫塞)というのはインドの地方の名である。唐の時代に一番盛んな所は真臘(チャンド....
国号の由来」より 著者:喜田貞吉
おいてのみ認められることになったのである。そしてその千島アイヌは、さらに東方なる察加をチュプカすなわち日出処と称し、その住民なるカムチャダールを、チュプカアン....