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「柳田〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

柳田の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
河童」より 著者:芥川竜之介
こうりゃく》」の著者はもちろん、「山島民譚集《さんとうみんたんしゅう》」の著者|柳田国男《やなぎだくにお》さんさえ知らずにいたらしい新事実ですから。) 「あの戦....
長篠合戦」より 著者:菊池寛
軍評定をした。自ら曰く、「総軍をして滝川を渡り清井田原に本陣を移し、浅木、宮脇、柳田、竹広の線に於て決戦せん」と。信玄以来の宿将、馬場美濃守信房、内藤修理昌豊、....
水の女」より 著者:折口信夫
めて、最後に大祓え・盂蘭盆までに跨っている。夏の行事の総勘定のような祭りである。柳田先生の言われたように、卯月八日前後の花祭りは、実は村の女の山入り日であった。....
嫉みの話」より 著者:折口信夫
ある。語というものの支配権は、たいしたものである。女のねたみについては、この間、柳田先生の話を引いたように、われわれ男女の間へ、他物を介在させまいとする感情であ....
詩語としての日本語」より 著者:折口信夫
俗な近代の演歌調の詞曲に成り上ろうとしていたに過ぎなかった。藤村の古語表現には、柳田國男先生(当時松岡)の啓発があって、一挙にあの境地に到達したものと観察せられ....
山越しの阿弥陀像の画因」より 著者:折口信夫
る風が、その一つである。而も其間に朝昼夕と三度まで、米を供えて日を拝むとある。(柳田先生、歳時習俗|語彙)又おなじ語彙に、丹波中郡で社日参りというのは、此日早天....
遠野の奇聞」より 著者:泉鏡花
近ごろ近ごろ、おもしろき書を読みたり。柳田国男氏の著、遠野物語なり。再読三読、なお飽くことを知らず。この書は、陸中国|....
「ケット」と「マット」」より 著者:喜田貞吉
保持された為であろう。 山人の伝説は各地に伝えられている。それについてはかつて柳田國男君の精細な研究が発表せられた事があり、自分もかつて鬼筋に関連して民族と歴....
くぐつ名義考」より 著者:喜田貞吉
あるが、それも文字の解釈のみで、またクグツの語には及んでいないのである。 先年柳田國男君は、川村杳樹の名を以てその巫女考を郷土研究の誌上に連載せられ、その第十....
炭焼長者譚」より 著者:喜田貞吉
東京朝日新聞の初刷に客員柳田國男君の炭焼長者譚という面白い読物の第一回が出ていた。奥羽地方に伝わっている....
オシラ神に関する二三の臆説」より 著者:喜田貞吉
を得たことを光栄とする。たまたまこれと時を同じゅうして、わが郷土研究界の権威なる柳田國男君が、「オシラ神の話」と題する興味深い一文を文藝春秋の九月号に発表せられ....
サンカ者名義考」より 著者:喜田貞吉
ているものに対しては、その職業によって、箕直し或いは竹細工などと呼ぶ地方もある。柳田君によれば、ノアイとも、川原乞食とも呼ぶことがあるという。またその種類によっ....
エタ源流考」より 著者:喜田貞吉
の賤民のあった事は、つとに「賤者考」や「近江輿地誌略」等によって注意された事で、柳田君の「郷土研究」にもその説が出ておった。これに関する自分の研究は、別項「産所....
俗法師考」より 著者:喜田貞吉
斯道において先輩たる柳田國男君が、かつてその経営に係わる『郷土研究』の誌上において、「毛坊主考」(大....
芝、麻布」より 著者:小山内薫
私の先輩達が、むかし竜土会というものを開いたのである。 国木田独歩、島崎藤村、柳田国男、田山花袋、中沢臨川、蒲原有明などという先輩の驥尾に付して武林繁雄(無想....