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柴田勝家
「柴田勝家〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
柴田勝家の前後の文節・文章を表示しています。該当する12件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「姉川合戦」より 著者:菊池寛
いてある。本当は信長の陣が十三段の備えの内十一段まで崩れたというから、木下秀吉、
柴田勝家、森可成の驍将達も一時は相当やられたらしい。一時は姉川から十町ばかりを退....
「桶狭間合戦」より 著者:菊池寛
を馳せつける騒ぎであった。 さてまたこの信行であるが、末森城に於て重臣林通勝、
柴田勝家等に鞠育されて居たが、老臣共は信長の粗暴を嫌って信行に織田の跡を継せよう....
「長篠合戦」より 著者:菊池寛
した位である。 織田徳川の軍勢、設楽の高原に着くや、信長(此時四十二歳)自らは
柴田勝家を従えて、設楽村極楽寺山に本陣を据えた。嫡男信忠(年十九)は河尻秀隆を従....
「小田原陣」より 著者:菊池寛
側衆にしてくれた。爾後、板部を取ってただ岡江雪斎と云った。秀吉の寛大歎ずべしだ。
柴田勝家の甥なる在久間安次とその弟は、勝家滅後大和に在って、秀吉に抗していたが、....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
を持つ古城跡が諸国に多くある。土佐の寺石正路君に教えられて『常山紀談』を見ると、
柴田勝家居城の水の手を佐々木勢に断たれた時、佐々木平井甚助を城に入れてその容易を....
「蒲生氏郷」より 著者:幸田露伴
許しは与えられた。小田原の城中に居た佐久間|久右衛門尉《きゅうえもんのじょう》は
柴田勝家の甥であった。同じく其弟の源六は佐々《さっさ》成政の養子で、二人|何《い....
「私たちの建設」より 著者:宮本百合子
案外私共の注意すべき点がひそんでいるのではなかろうか。淀君の母親は、秀吉に敗けた
柴田勝家の妻であった。お茶々と呼ばれた少女の淀君は、美貌の母と共に秀吉の捕虜とな....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
をきめました。 道の順から福井の名所の第一は、もとの北の庄の城跡、織田氏の宿将
柴田勝家がこれに拠《よ》って、ここで亡びたところ、その名残りのあとを見ると、神社....
「首のない騎馬武者」より 著者:田中貢太郎
になって、其処には松平侯爵邸、県庁、裁判所、県会議事堂などが建っている。そして、
柴田勝家の居城の址は、市の東南の方角に在って、明治四十年までは石垣なども残ってい....
「明治劇談 ランプの下にて」より 著者:岡本綺堂
三十四年の三月、歌舞伎座で「太閤記」大徳寺焼香場を出した。団十郎の秀吉、菊五郎の
柴田勝家が呼びもので、これも日々の大入りであったが、この焼香場で勝家が無念のあま....
「茶漬三略」より 著者:吉川英治
へ討入っている。 元亀元年となっては。 若狭へ転戦し、続いて、天正元年には、
柴田勝家と合体して、滋賀の石山、堅田など、一向宗の僧軍と戦うなど――殆ど、年ごと....
「黒田如水」より 著者:吉川英治
をなしている方々といえば――まず林佐渡守どの、佐久間信盛どの、森|可成どの」 「
柴田勝家、滝川一益、丹羽五|郎左、池田信輝」 「まだありますな。前田どの、明智ど....