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「桐一葉〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

桐一葉の前後の文節・文章を表示しています。該当する9件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
綺堂むかし語り」より 著者:岡本綺堂
、演劇研究のために洋行した。文芸協会はこの年の十一月、歌舞伎座で坪内逍遥博士の「桐一葉」を上演した。 若葉会は更に東京毎日新聞社演劇会と変って、同じ年の十二月....
真田幸村」より 著者:菊池寛
だが、大阪方についた譜代の臣の中で片桐且元など殊にいけない。 坪内逍遙博士の『桐一葉』など見ると、且元という人物は極めて深謀遠慮の士で、秀吉亡き後の東西の感情....
大衆文芸作法」より 著者:直木三十五
とする大衆作家のよき意図が見出だされるのだと思う。 例えば、 坪内逍遥氏の「桐一葉」、或は「沓手鳥孤城落月《ほととぎすこじょうのらくげつ》」とか、 その他....
新版 放浪記」より 著者:林芙美子
ず淀君《よどぎみ》としようか。蝙蝠《こうもり》のお安さんとしようか……。左団次の桐一葉《きりひとは》の舞台が瞼《まぶた》に浮かぶ。ああ東京はいろんな事があったと....
日記」より 著者:宮本百合子
そうで、大変醜い。ミスボイドと、ミストロットはまるで大変に違う。帝劇、とにかく「桐一葉」は努力した作であるけれども、まだ、私には全部満足することは出来ない。私は....
日記」より 著者:宮本百合子
った。種々の話。全集を自分で出す気がしないこと、七八年は一つ仕事にたずさわり、「桐一葉」が初めて上場されたのは十年目、「新浦島」を書かれてから十七年経ったのだそ....
明治劇談 ランプの下にて」より 著者:岡本綺堂
一夜――歌舞伎凋落――団菊の歿後 日露戦争前後 左団次の衰老――新派劇全盛――「桐一葉」と「辻説法」――遼陽の秋――洪水の難をまぬかる ことしは五代目菊五郎の....
明治の文学の開拓者」より 著者:内田魯庵
気分劇などと称して新らしがっている事の出来る誠に結構な時勢である。が、坪内君が『桐一葉』を書いた時は団十郎が羅馬法王で、桜痴居士が大宰相で、黙阿弥劇が憲法となっ....
明治演劇年表」より 著者:岡本綺堂
いう。黙阿弥物の清元は皆この人に語られたるなり。 ○三月、東京座にて坪内博士の「桐一葉」を初演。我当の片桐且元、芝翫の淀の方、いずれも好評。 ○三月二十七日、市....