桓武天皇[語句情報] »
桓武天皇
「桓武天皇〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
桓武天皇の前後の文節・文章を表示しています。該当する12件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「京に着ける夕」より 著者:夏目漱石
。春寒《はるさむ》の夜《よ》を深み、加茂川《かもがわ》の水さえ死ぬ頃を見計らって
桓武天皇《かんむてんのう》の亡魂でも食いに来る気かも知れぬ。
桓武天皇の御宇《....
「死までを語る」より 著者:直木三十五
が説明せぬと、わからないのだから、他人が、※にするのは当前である。 何んしろ、
桓武天皇時代からの貧乏で、死ぬまで恐らくは、火の車だったり、水の車だったりであろ....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
々閑々の方が、話すにも、聞くにも、都合がよい。 八面大王のいわれはこうです――
桓武天皇《かんむてんのう》の御代《みよ》、巍石鬼《ぎせっき》という鬼が有明山に登....
「田村将軍」より 著者:楠山正雄
動き出すといい伝えているのでございます。 坂上田村麻呂は今から千|年余りも昔、
桓武天皇が京都にはじめて御所をお造りになったころ、天子さまのお供をして奈良の都か....
「安吾の新日本地理」より 著者:坂口安吾
リしているが、その平安朝の天子に至るまでの大昔が問題であり謎である。甚しい謎だ。
桓武天皇はどうして遷都しなければならなかったのだろう? なぜ長岡の工を中止したの....
「美の日本的源泉」より 著者:高村光太郎
、真剣な魂の初発性は見られない。 天平期の完成に伴う諸弊害を一掃せられた英邁な
桓武天皇の平安遷都前後にあたってもう一度人心は粛然として真剣の気を取りもどした。....
「道鏡皇胤論について」より 著者:喜田貞吉
それでもなお彼が平新皇を称するに至ったについては、彼が「王家を出でて遠からず」、
桓武天皇から分れてまだ五代しかならぬ程の、近い皇胤であるという事の自信がこれを為....
「本州における蝦夷の末路」より 著者:喜田貞吉
と泳いで帰ったもの千二百五十七人という様な、大醜態を演じた程でありました。かくて
桓武天皇の延暦年間に、有名な坂上田村麿が出て参りますまで、二十数年間にわたった奥....
「穀神としての牛に関する民俗」より 著者:中山太郎
り(中略)。いつの程にか異国の風義うつりつらん、皇極天皇紀に殺牛馬祭諸社神云々。
桓武天皇紀に断百性殺牛用祭漢神云々。自然と悪風儀うつるなり(傍廂後篇)。 牛....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
か、初雪見参などは、むかしからめったになかった御遊らしい。「公事根源」によれば、
桓武天皇の延暦十一年の冬、 初雪見参 といって、天皇以下、雪の夜がたりに明か....
「特殊部落の成立沿革を略叙してその解放に及ぶ」より 著者:喜田貞吉
ったとしても、彼は支那人の子孫だと自ら名告っておりました。そしてその妹か姉かは、
桓武天皇の妃ともなっておられます。このほか支那人の名家は甚だ多く歴史に見えており....
「賤民概説」より 著者:喜田貞吉
派な家柄を主張していても、やはり葬式を扱う事から、自然に人がこれを嫌う。たまたま
桓武天皇の御生母が、その土師氏の女の腹から出られたお方であったという関係から、御....