梅若[語句情報] »
梅若
「梅若〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
梅若の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「綺堂むかし語り」より 著者:岡本綺堂
、老人は言問団子に休んで茶を飲んだ。この老人はまったく足が達者で、記者はとうとう
梅若まで連れて行かれた。 「どうです、くたびれましたか。年寄りのお供は余計にくた....
「佐竹の原へ大仏をこしらえたはなし」より 著者:高村光雲
……いよいよ取り掛りましょう、ということになりました。 それが三月の十五日で、
梅若さまの日で、私が雛形を作ってから十日も経つか。話は迅く、四月八日釈迦の誕生日....
「梅津只円翁伝」より 著者:杉山萠円
但し如何なる種類の歌舞音曲であったかは的確に判明しないが、後に同家の家系の中から
梅若九郎右衛門なぞいう名家を分派したところを見ると、相当の繁栄を遂げていた事が推....
「梅若七兵衞」より 著者:三遊亭円朝
引続きまして、
梅若七兵衞と申す古いお話を一席申上げます。えゝ此の
梅若七兵衞という人は、能役者の....
「丹下左膳」より 著者:林不忘
も、おくれじと馬脚を入り乱れさせて、若殿のあとを追う。
木母寺《もっぽじ》には
梅若塚《うめわかづか》、長明寺《ちょうみょうじ》門前の桜餅、三囲神社《みめぐりじ....
「青春論」より 著者:坂口安吾
動小屋の出来事がこんなにハッキリ指摘されるものだとは。僕も甚だ面喰った。 僕は
梅若万三郎や菊五郎の舞台よりも、サーカスやレビューを見ることが好きなのだ。それは....
「日本文化私観」より 著者:坂口安吾
とどめず、全然インチキそのものである。ゲーリー・クーパーは満員客止めの盛況だが、
梅若万三郎は数える程しか客が来ない。かかる文化人というものは、貧困そのものではな....
「影のない犯人」より 著者:坂口安吾
にみちた雇われマスター振りが目から放れない。 玄斎は神蔭流のほかに、裏千家流や
梅若流などにも多少の素養を有し、どういうわけだか小さい時から身ナリということに妙....
「鐘ヶ淵」より 著者:岡本綺堂
ょうのお供に加わって来ていた。かれは午飯の弁当を食ってしまって、二、三人の同輩と
梅若塚のあたりを散歩していると、近習頭の山下三右衛門が組頭同道で彼をさがしに来た....
「名人地獄」より 著者:国枝史郎
の世や猫も杓子も花見笠」の、そういう麗かの陽気となった。隅田川には都鳥が浮かび、
梅若塚には菜の花が手向けられ、竹屋の渡しでは船頭が、酔っぱらいながら棹さしていた....
「つづれ烏羽玉」より 著者:林不忘
花を咲かすのが雨なら散らすのも雨。 隅田川《すみだがわ》木母寺《もくぼじ》
梅若塚《うめわかづか》の大念仏は十五日で、この日はきまって雨が降る。いわゆる
梅若....
「鴎外の思い出」より 著者:小金井喜美子
、昔住んだ土地がなつかしくて見廻しました。綾瀬を越して行くと向島の土手になって、
梅若や白髭の辺に出るのです。お兄様はと見返ると、板張に薄縁を敷いたのに、座蒲団を....
「幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
…いよいよ取り掛かりましょう、ということになりました。 それが三月の十五日で、
梅若さまの日で、私が雛形を作ってから十日も経つか。話は迅く、四月八日|釈迦の誕生....
「向嶋」より 著者:永井荷風
囲の鳥居前より牛《うし》ノ御前《ごぜん》長命寺の辺までいと盛りに白鬚《しらひげ》
梅若《うめわか》の辺まで咲きに咲きたり。側は漂渺《ひょうびょう》たる隅田の川水青....
「年中行事覚書」より 著者:柳田国男
いので、外へ出て日を暮すというのが元ではなかったかと思う。 旧暦三月十五日を、
梅若様の日として休みまた神祭をすることは、東京付近の例だけを見ると、かの謡曲隅田....