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極み
「極み〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
極みの前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「玉藻の前」より 著者:岡本綺堂
観てもいるまい。又しても山門と三井寺の闘諍《とうじょう》、思えば思えば浅ましさの
極みじゃ」 叡山《えいざん》と三井寺の不和は多年の宿題で、戒壇建立の争いのため....
「白蟻」より 著者:小栗虫太郎
ば、かえってその力に、真実の闇があるのではないだろうか。それはまさに、人間退化の
極みである。あるいは、孤島の中にもあらうし、極地に近い辺土にも――そこに棲む人達....
「最終戦争論」より 著者:石原莞爾
中にも、私の分を越えた僭越な独断が甚だ多いのは十分承知しており、誠にお恥ずかしい
極みである。志ある方々が、思想・社会・経済等あらゆる方面から御検討の上、御教示を....
「人魚謎お岩殺し」より 著者:小栗虫太郎
り去る、指のしなだれ、その蒼白さ。 時刻も黄昏、所は十万坪隠亡堀、すべてが陰の
極みである。 すると、おどろ怖ましい薄ドロにつれて、下手から、菰をかぶった一枚....
「オフェリヤ殺し」より 著者:小栗虫太郎
と息の間を置かずに、法水は云い続けた。 「たしかに、あれからうけた印象は、悽愴の
極みだったよ、まさにその超自然たるや、力学の大法則を徹底的に蹂躪している。然し、....
「北斗帖」より 著者:違星北斗
コタンの驚き 諒闇の正月なれば喪旗を吹く 風も力のなき如く見ゆ 勅題も今は悲しき
極みなれ 昭和二年の淋しき正月 秋の夜の雨もる音に目をさまし 寝床片寄せ樽を置き....
「怪異暗闇祭」より 著者:江見水蔭
者十数人のために、乳房銀杏の蔭へ引きずられて行き、聴くに忍びぬ悪口雑言に、侮辱の
極みを浴びせられたのであった。 余りの無念|口惜しさ。それに因果な身をも耻入り....
「迷信解」より 著者:井上円了
はない。されば、火生土というは不都合の説である。また金生水の説明のごときは、愚の
極みといってよろしい。水生木の説明に木は水によりて生長するというならば、木は日光....
「九月四日」より 著者:岡本綺堂
と思われた。 その当時、直ちに梁に撃たれ、直ちに火に焚かれたものは、勿論悲惨の
極みである。しかも一旦は幸いにその危機を脱出し得ながら、その後更に肉体にも精神に....
「欧米各国 政教日記」より 著者:井上円了
えども、その真理に達するの途次にあるものなり。論理上ヤソ教の理を推究すれば、その
極み仏教の原理に合体するに至る。ゆえに、余はかつていえるあり、ヤソ教一変すれば仏....
「広告」より 著者:伊丹万作
感じる。しかし、その残りのいくぶんは依然として訂正の必要がないということは遣憾の
極みである。 彼ほどの句をものしてもなおかつ俳句では食えないのである。したがつ....
「宝永噴火」より 著者:岡本かの子
つとも知らず相手を判らず茫漠のうちに喰い尽されて失くなることは想像するだに不安の
極みだ。自分は飽くまで眼を瞠はり、飽くまで恐れおののく自分を見守って生の岸端に足....
「仏教人生読本」より 著者:岡本かの子
妻を信じ、決して離れようなどとは夢にも思っていません。 うつし身のつひに果てなん
極みまで 添ひゆくいのち正眼には見よ 私は紅山茶花を見るといつも思うのです....
「茸をたずねる」より 著者:飯田蛇笏
を曳いて両翼を拡げつつ露の中を翔んで行くさまは、非常に迅速であるが又もの静けさの
極みである。粂吉は近寄って来て、「今のは大丈夫撃てやしたね」というようなことを言....
「戦争史大観」より 著者:石原莞爾
を要望した。しかしそのときの考えは余りに消極的であったことが今となれば恥ずかしい
極みである。小胆ものだから自然に日本の現状即ち政治的関係に左右されたわけである。....