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「槃〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

槃の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
道祖問答」より 著者:芥川竜之介
て、阿闍梨の語《ことば》を、聞きすましているようである。 「よう聞けよ。生死即涅《しょうじそくねはん》と云い、煩悩即菩提《ぼんのうそくぼだい》と云うは、悉く己....
俊寛」より 著者:芥川竜之介
ごしゅっせい》は我々|衆生《しゅじょう》に、笑う事を教えに来られたのじゃ。大般涅《だいはつねはん》の御時《おんとき》にさえ、摩訶伽葉《まかかしょう》は笑ったで....
宇宙の始まり」より 著者:アレニウススヴァンテ
し、そうしてあらゆる生命は死滅してしまう。それこそインド哲学者の夢想した完全な涅である。クラウジウス(Clausius)はこの窮極状態を『熱的死』(〔Wa:r....
最終戦争論」より 著者:石原莞爾
の武力の発動が皇国の戦争である。 最も平和的であると信ぜられる仏教に於ても、涅経に「善男子正法を護持せん者は五戒を受けず威儀を修せずして刀剣|弓箭鉾槊を持す....
茶の本」より 著者:岡倉覚三
たが、この現象世界がすなわち宇宙の法則そのものであった。永劫はこれただ瞬時――涅はつねに掌握のうち、不朽は永遠の変化に存すという道教の考えが彼らのあらゆる考え....
草迷宮」より 著者:泉鏡花
落されて、) と衝と投げ上げて、トンと落して、高くついた。 待てよ。古郷の涅会には、膚に抱き、袂に捧げて、町方の娘たち、一人が三ツ二ツ手毬を携え、同じよう....
薄紅梅」より 著者:泉鏡花
馴染があってね、洲崎の塩竈……松風|空風遊びという、菓子台一枚で、女人とともに涅に入ろう。……その一枚とさえいう処を、台ばかり。……菓子はこれだ、と袂から二人....
露肆」より 著者:泉鏡花
ッフッと吹きながら、すぺりと古道具屋の天窓を撫でるかと思うと、次へ飛んで、あの涅に入ったような、風除葛籠をぐらぐら揺ぶる。 八 その時きゃっき....
或る秋の紫式部」より 著者:岡本かの子
たゆたう渚に、あわれにも懐しきわたしの浄土があるのだ。人の世の果敢無さ、久遠の涅、その架け橋に、わたしは奇しくも憩い度い……さあ、もう何も言わないでね。だいぶ....
我楽多玩具」より 著者:岡本綺堂
、土製は二銭八厘、木彫は五銭と決っていましたが、木彫はなかなか精巧に出来ていて、若の仮面などは凄い位でした。私たちは狐や外道の仮面をかぶって往来をうろうろして....
淡島椿岳」より 著者:内田魯庵
に亡び玄関の正面の梵字の円い額も左右の柱の「能発一念喜愛心」及び「不断煩悩得|涅」の両|聯も、訪客に異様な眼を※らした小さな板碑や五輪の塔が苔蒸してる小さな笹....
欧米各国 政教日記」より 著者:井上円了
、知者あり無知あり、鋭利なるものあり魯鈍なるものあり。もし、この人をして同一に涅の楽地に至らしめんと欲せば、その説くところの法、知愚利鈍に応じて異にせざるをえ....
宝永噴火」より 著者:岡本かの子
することはこの絆を断ち切って彼女を夢より醒すことでもある。そして共に真実自由な涅海に落着けるのである。今のままでは彼女も偶像を相手の夢の美しさにいつまでも中途....
仏教人生読本」より 著者:岡本かの子
誰でも、人格完成の種子を、生れながらに持っている(一切衆生ことごとく仏性あり〔涅経〕)と仏教は説くのであります。人格完成と言っても、ただの人格完成の程度でなく....
戦争史大観」より 著者:石原莞爾
法を護るをもって乃ち大乗と名づく。正法を護る者は正に刀剣器杖を執持すべし。」(涅経) 3 「兵法|剣形の大事もこの妙法より出たり。」(日蓮聖人) このような....