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正倉院
「正倉院〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
正倉院の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「日本楽器の名称」より 著者:寺田寅彦
は充分疑う余地がある。ある書に尺八を十二作ったが長さがいろいろあると書いてある。
正倉院の尺八は一尺一寸以下八種あるそうである。事によるとこの尺八は音の高度を示す....
「新婦人協会の請願運動」より 著者:与謝野晶子
ているのに対し、職業に就くには卒業証書、教育者となるには検定免状、俳優には鑑札、
正倉院の拝観には高等官の資格証明書、病院へ行くには診療券、汽車、電車、乗合自動車....
「大和路・信濃路」より 著者:堀辰雄
ま》るような気がした。 それから僕たちは僧侶の案内で、東大寺の裏へ抜け道をし、
正倉院がその奥にあるという、もの寂びた森のそばを過ぎて、畑などもある、人けのない....
「万葉秀歌」より 著者:斎藤茂吉
うといわれている。「眉引」は眉墨を以て眉を画くことで、薬師寺所蔵の吉祥天女、或は
正倉院御蔵の樹下美人などの眉の如き最も具体的な例である。書紀仲哀巻に、譬如。古事....
「一商人として 」より 著者:相馬愛蔵
として、一割引の特待券を進呈することであった。割引券も上品に美術的にと意匠して、
正倉院の御物中にあるという馬を写して相馬の意味を通わせ、当時有名な凸版印刷会社に....
「朱絃舎浜子」より 著者:長谷川時雨
りしているから、その時持ってゆくのに具合の好《い》い、寸づまりで、幅の広い箏を、
正倉院《しょうそういん》の御物《ぎょぶつ》の形《かた》ちを模して造らせた話をした....
「可能性の文学」より 著者:織田作之助
飽いてお茶漬け小説でも書きたくなったというほど、日本の文学は栄養過多であろうか。
正倉院の御物が公開されると、何十万という人間が猫も杓子も満員の汽車に乗り、電車に....
「猫と杓子について」より 著者:織田作之助
昔のままです。文章の句読点の切り方すら変っておりません。これはおかしいことです。
正倉院の御物の公開があると、何十万という人間が猫も杓子も満員の汽車や電車に乗り、....
「鴎外博士の追憶」より 著者:内田魯庵
た。もし長くその椅子に坐していたら必ず新生面を拓く種々の胸算があったろうと思う。
正倉院の門戸を解放して民間篤志家の拝観を許されるようになったのもまた鴎外の尽力で....
「東洋文化史における仏教の地位」より 著者:高楠順次郎
来た。それがイギリスの博物館、フランスの博物館に行っております。所がこれも日本の
正倉院の正語蔵の中にだいぶある。それから宇治の興聖寺の一切経の中にもある。法隆寺....
「炭焼長者譚」より 著者:喜田貞吉
の和炭に対して炭竈で蒸し焼きに焼いた炭を荒炭と云い、荒炭和炭の名は既に天平時代の
正倉院文書に往々見えている。石器時代の貝塚などからもしばしば木炭が発見せられるが....
「法隆寺再建非再建論の回顧」より 著者:喜田貞吉
おいては所謂古墳時代末期の遺物として、墳墓中から極めて稀に発見せらるる以外には、
正倉院・三月堂・春日神社・大三島神社等の古社寺に往々保存せられて、考古学者はこれ....
「俗法師考」より 著者:喜田貞吉
納堂町 当所は新元興寺之公納所なり。今興福寺唐院のことし。封戸料米等を納るる所の
正倉院なり。 享禄二年七郷紀に当郷不見。未民屋あらざる故なり。天正二年地子帳公納....
「美しい日本の歴史」より 著者:吉川英治
もう落書き根性も立ち小便も催す壁も見あたるまい。 が、落書きにも国宝級がある。
正倉院御物の有名な「大大論」の人物画などそれである。きっと大昔の写経生の悪戯書き....
「正倉院展を観る」より 著者:吉川英治
ちかごろこんなにみたされた気もちはなかった。
正倉院宝物展を見てである。その晩は“咲く花の匂うが如き”とうたわれた千二百年前の....