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正月
「正月〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
正月の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「浅草公園」より 著者:芥川竜之介
は生憎《あいにく》引き裂《さ》かれているらしい。が、はっきりと見えるのは「生活、
正月号」と云う初号活字である。
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大きい常磐木《と....
「母」より 著者:芥川竜之介
るように、いやが上にも苦しまねばやまない、病的な心理の一例であろうか?
「この御
正月でございました。」
女はこう答えてから、ちょいとためらう気色《けしき》を見....
「冬」より 著者:芥川竜之介
月に喉頭癌《こうとうがん》のために故人になっていた。それから僕の遠縁の少年はこの
正月に家出していた。それから――しかし従兄の収監《しゅうかん》は僕には何よりも打....
「彼」より 著者:芥川竜之介
六
彼の死んだ知らせを聞いたのはちょうど翌年《よくとし》の旧
正月だった。何《なん》でも後《のち》に聞いた話によれば病院の医者や看護婦たちは旧....
「或敵打の話」より 著者:芥川竜之介
う》の三人の遺髪がはいっていた。
後談
寛文《かんぶん》十一年の
正月、雲州《うんしゅう》松江《まつえ》祥光院《しょうこういん》の墓所《はかしょ》....
「校正後に」より 著者:芥川竜之介
危険を、時々は怖《おそ》れもした。
○それから僕はいろんな事情に妨げられて、この
正月にはちっとも働けなかった。働いた範囲においても時間が足りないので、無理をした....
「或日の大石内蔵助」より 著者:芥川竜之介
まり暖いので、睡気《ねむけ》がさしそうでなりません。」
内蔵助は微笑した。この
正月の元旦に、富森助右衛門《とみのもりすけえもん》が、三杯の屠蘇《とそ》に酔って....
「或る女」より 著者:有島武郎
、それが仕上がるのは短い日月にはできる事ではなさそうだった。ことに時節が時節がら
正月にかかっているから、そういうものの設立にはいちばん不便な時らしくも思われた。....
「小さき者へ」より 著者:有島武郎
為めに最後まで戦おうとする熱意が病熱よりも高く私の胸の中で燃えているのみだった。
正月早々悲劇の絶頂が到来した。お前たちの母上は自分の病気の真相を明《あ》かされね....
「想片」より 著者:有島武郎
私が改造の
正月号に「宣言一つ」を書いてから、諸家が盛んにあの問題について論議した。それはお....
「兄貴のような心持」より 著者:芥川竜之介
一人もいない。 まだ外に書きたい問題もあるが、菊池の芸術に関しては、帝国文学の
正月号へ短い評論を書く筈だから、こゝではその方に譲って書かない事にした。序ながら....
「鴨猟」より 著者:芥川竜之介
大町先生に最後にお目にかゝったのは、大正十三年の
正月に、小杉未醒、神代種亮、石川寅吉の諸君と品川沖へ鴨猟に往った時である。何でも....
「島木赤彦氏」より 著者:芥川竜之介
島木さんに最後に会ったのは確か今年(大正十五年)の
正月である。僕はその日の夕飯を斎藤さんの御馳走になり、六韜三略の話だの早発性痴呆....
「ファラデーの伝」より 著者:愛知敬一
ファラデーはこれにエレクトロトニックという名称をつけたのである。 一八三二年の
正月にした。 話が前に戻るが、一八三一年に電気感応の大発見をしたときに、ファラ....
「本所両国」より 著者:芥川竜之介
よれば、この辺――二つ目通りから先は「津軽様」の屋敷だった。「御維新」前の或年の
正月、父は川向うへ年始に行き、帰りに両国橋を渡って来ると少しも見知らない若侍が一....