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此の中
「此の中〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
此の中の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「女の決闘」より 著者:太宰治
、在るわけは無い。もともと男の真似なのだ。女は、やっぱり駄目なものだ、というのが
此の中年の芸術家の動かぬ想念であったのであります。けれども、いま、自身の女房の愚....
「真景累ヶ淵」より 著者:三遊亭円朝
いう。安田一角は袴の股立を取って、
安「サア来い」
と長いのを振上げている、
此の中へ素裸《すはだ》で、花車重吉が飛込むというところ、一寸一ト息吐きまして。
....
「業平文治漂流奇談」より 著者:三遊亭円朝
んだ、これから緩《ゆっく》り話しましょう……時にお差支《さしつかえ》もあるまいが
此の中には五十両あります、故郷へは錦を飾れという事でございますから、飾りは立派に....
「幽霊塔」より 著者:黒岩涙香
見えなく成った、余は益々お浦の所行を怪しみ、銃器室の戸を推して見ると全く怪美人は
此の中へ閉じ籠められたに違いない、戸には錠が卸りて仲々開かぬ、鍵はお浦が持ち去っ....
「爬虫館事件」より 著者:海野十三
入っていたのですか」 「いろいろな目的に使いますが、ヘビが風邪をひいたときには、
此の中に入れて蒸気で蒸してやったりします」 「それにしては、何だか液体でも入って....
「疑問の金塊」より 著者:海野十三
れ懸ったような倉庫がありますネ。犯人はこの中に居るのですよ」 「何故だ。どうして
此の中へ逃げこんだというのだ」 「喋っていると、犯人が逃げだしますよ」 「しかし....
「山崎合戦」より 著者:菊池寛
。中央軍の第二陣は、松田太郎左衛門で、その後に光秀旗本五千余騎を従えて、進んだ。
此の中で、左備の津田与三郎は、尼ヶ崎の城主で信長の甥である七郎兵衛信澄の家老だっ....
「応仁の乱」より 著者:菊池寛
、畠山、細川の三家を三職と云い、相互に管領に任じて、幕府の中心勢力となって来た。
此の中、斯波氏先ず衰え、次で畠山氏も凋落した。独り残るは細川氏であり、文安二年に....
「菊模様皿山奇談」より 著者:三遊亭円朝
く貧の盗みでございますから、何卒御免なすって」 清「貧の盗みなんてえ横着野郎め」
此の中下女などが泥坊と聞いて裸蝋燭などを持ってまいりました。 清「これもっと此方....
「西洋人情話 英国孝子ジョージスミス之伝」より 著者:三遊亭円朝
者は知ってるが、旦那今|私が貴方の荷が臭いと云った時、顔色が変った様子を見ると、
此の中は死人だねえ」 又「馬鹿を云え、東京から他県へ死人を持って来るものがあるか....
「敵討札所の霊験」より 著者:三遊亭円朝
染で、ふうー」 小「一寸水司はん、私の大事のね、深い中になって居るお客というのは
此の中根はんで、中根はんに出ている私がお前はんの様な下役に出られますかねえ、宜く....
「私の経過した学生時代」より 著者:夏目漱石
があって自《みずか》ら退《ひ》いて了《しま》ったが、それには曰《いわ》くがある。
此の中学というのは、今の完備した中学などとは全然異っていて、その制度も正則と、変....
「蒲生氏郷」より 著者:幸田露伴
四将は本隊を離れて政宗の営の近辺に特に陣取った。無論政宗を監視する押えであった。
此の中新田附近は最近、即ち足掛四年前の天正十五年正月に戦場となった処で、其戦は伊....
「松の操美人の生埋」より 著者:三遊亭円朝
又直ぐ私は帰ります、帰るが明日の夕景までには又|私が来られゝば好し、来られん時は
此の中に細かに書いた物がありますが、此れは私の親から譲られた大事の、今は金入れに....
「粟田口霑笛竹(澤紫ゆかりの咲分)」より 著者:三遊亭円朝
はもんどりを打ってドブりと仙台河岸へ落ると、傍に一艘の荷足船が繋いで居りまして、
此の中に居たものは伊皿子台町の侠客で荷足の仙太という人で、力は五人力有って、不死....