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此の後
「此の後〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
此の後の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「真景累ヶ淵」より 著者:三遊亭円朝
しいから、仮令《たとえ》此の儘死ねばとて、この怨は新吉の身体に纒《まつわ》って、
此の後《ご》女房を持てば七人まではきっと取殺すから然《そ》う思え』と云う書置で、....
「政談月の鏡」より 著者:三遊亭円朝
うしろかげ》を木戸の処を曲るまで見送って、 喜「有難うございました、どうぞ殿様
此の後《のち》も寄ってお呉んなさい、へえへえ有難う、おい嬶《かゝ》ア、大切《たい....
「幽霊塔」より 著者:黒岩涙香
か」柔しい中に犯し難い口調を罩《こ》めて言い切った、色々問い度い事ばかりだけれど
此の後は問う訳に行かぬ、其の中に分る時が有るだろうと断念《あきら》めて口を噤んだ....
「綺堂むかし語り」より 著者:岡本綺堂
後の白虎隊の方は勝手に書くことが出来た。それは九月の明治座で上演された。 もう
此の後は新しいことであるから、くだくだしく云うまでもない。要するに茲らが先ずひと....
「応仁の乱」より 著者:菊池寛
、地方に波及拡大し、日本国中が一つの軟体動物の蠕動運動の様に、動揺したのである。
此の後に来るものが所謂戦国時代だ。即ち実力主義が最も露骨に発揮された、活気横溢せ....
「菊模様皿山奇談」より 著者:三遊亭円朝
した、ほんの掟で、一寸小指へ疵を附けるぐれえだアと思いやしたが、指を打切られると
此の後内職が出来ません、と云って無闇に頬辺なんて、どう云うはずみで鼻でも落したら....
「西洋人情話 英国孝子ジョージスミス之伝」より 著者:三遊亭円朝
前は当家の番頭又作と申すもので、旦那から承わって居りましたが、ようこそお出でゞ、
此の後とも幾久しく宜しゅう願います、えゝ当家も誠に奉公人も大勢居りましたが、女共....
「怪談牡丹灯籠」より 著者:三遊亭円朝
に灯がちら/\点く時刻と成りますと、飯島の声で、 「孝助庭先へ廻れ」 という。
此の後は何うなりますか、次囘までお預り。 十二 伴藏の家では、....
「敵討札所の霊験」より 著者:三遊亭円朝
ぬから止せと親切に云ってくれても宜さそうなものだ、つべこべ/\馬鹿世辞を云って、
此の後二度来ぬから宜いか、其の方達は余程不実な者だね、どうも」 婆「不実と云った....
「巴里祭」より 著者:岡本かの子
つまり六月一ぱいまでは何かと言いながら年中行事の催物が続き、まだ巴里に実がある。
此の後は季節が海岸の避暑地に移って巴里は殻になる。折角今年流行の夏帽子も冠ってそ....
「霧陰伊香保湯煙」より 著者:三遊亭円朝
て是が揚りました。尚厳重に調べに成りましたが、何うしても盗賊の行方が分りません。
此の後明治十一年七月十日、千葉県下|下総国野田宿なる太田屋という宿屋へ泊り合せて....
「塩原多助一代記」より 著者:三遊亭円朝
丹「不届な奴め」 と云いながらずか/\/\と詰め寄って長物へ手を掛けましたが、
此の後は何う相成りましょう。 さて丹治おかめは横堀村の庵室で図らずおかく婆に逢....
「新しき世界の為めの新しき芸術」より 著者:大杉栄
合な兄弟に見棄てられて、其の貧困のどん底に蠢いているものである。紳士閥の政策は、
此の後者を絶滅させ、前者を同化させる事にある。そして吾々自身の政策は、即ち吾々の....
「葛飾砂子」より 著者:泉鏡花
ら背後へ草書をまわして、 此処寛政三年波あれの時、家流れ人死するもの少からず、
此の後高波の変はかりがたく、溺死の難なしというべからず、是に寄りて西入船町を限り....
「粟田口霑笛竹(澤紫ゆかりの咲分)」より 著者:三遊亭円朝
さアどうぞこれへ/\、好うこそのおいで、手前は稻垣屋小助と申す小商売を致すもの、
此の後とも御贔屓に御用向を仰せ聞けられますように」 束「ヤア是は始めまして、手前....