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武略
「武略〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
武略の前後の文節・文章を表示しています。該当する10件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「碧蹄館の戦」より 著者:菊池寛
の舞を踏みたいわけではあるまいと。――こう云われると誰も答え様がなかった。隆景の
武略、諸将を圧していたのである。さて隆景等が退いた開城には、既に李如松等代って入....
「真田幸村」より 著者:菊池寛
附くものが出来るだろう。しかし、この策は、自分が生きていたれば、出来るので、汝は
武略我に劣らずと云えども、声望が足りないからこの策が行われないだろう」と云った。....
「李陵」より 著者:中島敦
である。大将軍|衛青《えいせい》・嫖騎《ひょうき》将軍|霍去病《かくきょへい》の
武略によって一時|漠南《ばくなん》に王庭なしといわれた元狩《げんしゅ》以後|元鼎....
「蒲生氏郷」より 著者:幸田露伴
人衆の第一で、信長が浅井朝倉を取って押えるに付けては大功を立てて居る、大剛にして
武略も有った一将だ。然し信長に取っては外様《とざま》なので、後に至って信長が其将....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
る、この天険あり勇士あってついに亡びたのは天運ぜひもなし」 「いかにも、武田家の
武略には東照権現も心から敬服しておられた。徳川家の世になって甲州の仕法《しほう》....
「秋の筑波山」より 著者:大町桂月
権大輔となり、従四位を授けられ、修理権太夫にまでも進めり。思ふに関東の一大豪族、
武略と共に材能もありて、当時有数の人材也。然るに、南風競はず、北朝の勢、益々隆ん....
「三国志」より 著者:吉川英治
れますか」と、敢えて恨めしげに称えた。 徐盛は字を文嚮といい、瑯※県の人、夙に
武略の聞えがあった。孫権は彼のほうをながめて、 「おおそこに徐盛こそいたか。もし....
「三国志」より 著者:吉川英治
たか」 由来、王朗は博学をもって聞え、大儒の風もありといわれ、魏の棟梁たる経世
武略の人物として、名はあまねく天下に知れていた。 いま、戦端に先だって、その王....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
には、村人に衆望のある松尾|刑部と爺の恩智左近を振りあててある。 土木の工は、
武略だけでもおよばず、権力だけでも捗らない。――が、正成の“御本屋触れ”がゆきわ....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
いやし、またまた手おくれを重ねたという一話である。――しかしこれは、余りに義貞の
武略を無能視したもので、信じられるふしはどこにもない。 とにかく。義貞の三軍は....