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水尾
「水尾〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
水尾の前後の文節・文章を表示しています。該当する11件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「白くれない」より 著者:夢野久作
こは人に知らせじと思ひし、わが人斬りの噂、次第に高まり来りて、いつしか長崎奉行、
水尾甲斐守の耳に入りしと覚しく、与力、手先のわれを見送る眼付き尋常ならざるに心付....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
までも、眼が面の一側にかたより居ると。さればカレイも邪視する魚と嫌うた物か。『後
水尾院《ごみずのおいん》年中行事』上に、一参らざる物は王余魚、云々。またカレイ、....
「丹下左膳」より 著者:林不忘
うみ》に、おなじ隔《へだ》たりがふたつの船のあいだに何日となくつづいた。
白い
水尾《みお》を引く左膳の船のあとに乗って、栄三郎、泰軒の船があきもせずについてゆ....
「沙漠の古都」より 著者:国枝史郎
は木立を映して嵐に騒ぐ梢の様子がさながらに水に映って見えている。船の進むに従って
水尾が一筋水面に走りそこだけキラキラと日光に輝き銀色をなして光っている。無数の水....
「我が円朝研究」より 著者:正岡容
けて下りていくといった風だった由である。たしかにこの演出のほうが心憎いほど我々に
水尾曳いてのこる余韻がある。或いはのちには圓朝自身この演出を工夫し、それを弟子た....
「興津弥五右衛門の遺書(初稿)」より 著者:森鴎外
た。興津が長崎に往ったのは、いつだか分からない。しかし初音の香を二条行幸の時、後
水尾天皇に上ったと云ってあるから、その行幸のあった寛永三年より前でなくてはならな....
「宮本武蔵」より 著者:吉川英治
から奥羽の方を旅しているとは聞えていたが、至って、飄々たる存在で、時には、主上後
水尾天皇の御座ちかく召され、清涼の法莚に、禅を講じているかと思えば、ある日は、弟....
「鳴門秘帖」より 著者:吉川英治
た。 霧の底から海があらわれ、霧の上から朝の陽がさんさんと射る。一の洲二の洲の
水尾木も、順に点々と明け放れて、潮の満ち満ちてきた安治川一帯、紺の大水に金泥を吐....
「鳴門秘帖」より 著者:吉川英治
と、水夫の手から忘れられているまに、船は、怖ろしい暗礁からつき出されて、目印山の
水尾木を沖へ離れ、果てなき黒い海潮に舷を叩かれていた。 夜の海鳥が、ちぬの浦の....
「随筆 宮本武蔵」より 著者:吉川英治
こんなことでは尽きない。骨相寒厳といった風貌の人で、逸事も非常に多く、わけて、後
水尾上皇の御信任厚く、古来禁中での内裏殿上の説法は、禅林では愚堂を以て嚆矢とする....
「年中行事覚書」より 著者:柳田国男
風習とても、なお何れの点まで仏法の教えに基づいているかを考える必要がある。 後
水尾院年中行事四月十六日の条に「きょうより黒戸にて夏花を摘ませらるる云々」とあっ....