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「永代〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

永代の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
大川の水」より 著者:芥川竜之介
も、その重々しい水の色に言うべからざる温情を蔵していた。たとえ、両国橋、新大橋、永代橋《えいたいばし》と、河口に近づくに従って、川の水は、著しく暖潮の深藍色《し....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
れて又訊いた。 「その飼主は一貫文の科料、猿公は世間をさわがしたという罪で遠島、永代橋から遠島船に乗せられて八丈島へ送られました。奴は芝居小屋なんぞで窮屈な思い....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
この時は小名木川の川筋から高橋、万年橋を越えて、大川筋へ出ました。ここは新大橋と永代橋のあいだで、大川の末は海につづいている。その川中まで漕ぎ出した頃に、どうし....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
美《ごほうび》が出たといいます。なんという人達だか、その名は伝わっていませんが、永代橋の落ちた時に刀を抜いて振りまわしたのと同じような手柄ですね」 二....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
いの皺をみて、半七は大抵想像がついた。お亀は今年十七になるお蝶という娘を相手に、永代橋の際に茶店を出している。お蝶は上品な美しい娘で、すこし寡言でおとなし過ぎる....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
、無数にひらめく提灯の火も、遂に若い女ひとりの姿を見出し得ずに終った。この川下は永代橋である。死体はそこまで押し流されて、広い海へ送り出されてしまったのかも知れ....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
つかない一縷の望みであった。娘が家出のことは無論、町役人にも届けて置いた。両国や永代の川筋へも人をやって、その注意を橋番にもたのんで置いた。甲州屋としては、もう....
河明り」より 著者:岡本かの子
である。私は、今度は大川から引き水の堀割りを探してみた。 白木屋横手から、まず永代橋詰まで行くつもりで、その道筋の二つ目の橋を渡る手前にさしかかると、左の河並....
青蛙堂鬼談」より 著者:岡本綺堂
緒にうずめた。平助は正直者であるので、座頭が形見の小判五枚には手を触れず、すべて永代の回向料としてその寺に納めてしまった。 それから六年、かの座頭がこの渡し場....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
へよばれて、朝から見物に出て行ったが、その午過ぎになって誰が云い出すともなしに、永代橋が墜ちたという噂が神田辺に伝わった。文化四年の大|椿事におびえていた人々は....
海の使者」より 著者:泉鏡花
その頃|薬研堀にいた友だちと二人で、木場から八幡様へ詣って、汐入町を土手へ出て、永代へ引っ返したことがある。それも秋で、土手を通ったのは黄昏時、果てしのない一面....
異妖編」より 著者:岡本綺堂
」と、彼は家内の者どもを固く戒めた。 あくる日になると、ゆうべの風雨の最中に、永代の沖から龍の天上するのを見た者があるという噂が伝わった。伊四郎はそれを聞いて....
葛飾砂子」より 著者:泉鏡花
。」 「これかね、寛政|子年の津浪に死骸の固っていた処だ。」 正面に、 葛飾郡永代築地 と鐫りつけ、おもてから背後へ草書をまわして、 此処寛政三年波あれの....
妖怪学」より 著者:井上円了
つもかかる縁起によらざるはなし。有楽町と称する町あれども、有苦町など呼ぶ町なし。永代橋あれども短命橋なし。学校にも、明倫学校、積善学校あれども、不善学校、不徳学....
欧米各国 政教日記」より 著者:井上円了
たるものは、その姓名を堂内の壁上に刻し、後日の記念となす。あたかもわが国の寺院に永代読経の掲示あるがごとし。 英国にて宗教信者の家を見るに、内仏、神棚のごとき....