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江戸城
「江戸城〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
江戸城の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「煙管」より 著者:芥川竜之介
一
加州《かしゅう》石川|郡《ごおり》金沢城の城主、前田|斉広《なりひろ》は、参覲中《さんきんちゅう》、
江戸城の本丸《ほんまる》へ登城《とじょう》する毎に、必ず愛用の煙管《きせる》を持....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
駒井町をゆき抜ければ、音羽《おとわ》の大通りへ出る。その七丁目と八丁目の裏手には
江戸城の御賄《おまかない》組の組屋敷がある。かれらは身分こそ低いが、みな相当に内....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
ます。あなた方はむかし一書き物を調べておいでになるから、定めて御承知でしょうが、
江戸城大玄関先きの一件……。川越次郎兵衛の騒ぎです。あれもいろいろの評判になった....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
の通り、安政二年二月六日の晩に、藤岡藤十郎、野州無宿の富蔵、この二人が共謀して、
江戸城本丸の御金蔵を破って、小判四千両をぬすみ出しました。この御金蔵破りの一件は....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
が、大抵の家《うち》では十三日に煤掃きをする事になっていました。それと云うのが、
江戸城の煤掃きは十二月十三日、それに習って江戸の者は其の日に煤掃きをする。したが....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
、吉例の顔見世狂言を出さない。十一月十五日、きょうは七五三の祝い日だと云うのに、
江戸城の本丸から火事が出て、本丸と二の丸が焼ける。こんな始末で世間の人気は甚だ穏....
「婦系図」より 著者:泉鏡花
「と御維新|以来、江戸児の親分の、慶喜様が行っていた処だ。第一かく申すめの公も、
江戸城を明渡しの、落人を極めた時分、二年越居た事がありますぜ。 馬鹿にしねえ、....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
役目を勤めるかということがよく判っていないようです。この隠密の役目を勤めるのは、
江戸城内にある吹上の御庭番で、一代に一度このお役を勤めればいいことになっていまし....
「演技指導論草案」より 著者:伊丹万作
例照明部の人たちは泥のついたコードを曳きずり、泥靴をはいたままで、殿様の書院でも
江戸城の大広間でも平気で蹂躙してまわる。その後から白足袋で歩いて行く大名や旗本は....
「三浦老人昔話」より 著者:岡本綺堂
も申した通り、文久二年の出来事で、それから六年目が慶応四年、すなわち明治元年で、
江戸城あけ渡しから上野の彰義隊一件、江戸中は引っくり返るような騒ぎになりました。....
「田原坂合戦」より 著者:菊池寛
の者に止められた。岩倉具視も心配の極、勝安房をして行って説諭させんとした。これは
江戸城明け渡しの因縁に依って、それを逆に行こうと云うわけであったが、勝が「全権を....
「大阪夏之陣」より 著者:菊池寛
団右衛門も名代の豪傑であるが、大隅も幽霊から力を授ったと云う大豪の士で、その後
江戸城普請の時、大隅受持の石垣がいく度も崩れるので、秀忠から文句を云われたとき「....
「甲州鎮撫隊」より 著者:国枝史郎
滝とが、大量の水を湛えたり、落としたりしていた。 鳥羽、伏見で敗れた将軍家が、
江戸城で謹慎していることだの、上野山内に、彰義隊が立籠っていることだの、薩長の兵....
「八犬伝談余」より 著者:内田魯庵
つけながらも考えさせられる。 鉄砲は暫らくお預けとして、長禄というと太田道灌が
江戸城を築いた年である。『八犬伝』には道灌は影になってるが、道灌の子の助友は度々....
「明治劇談 ランプの下にて」より 著者:岡本綺堂
となく嬉しく思った。桜痴居士が席を起って行ったあとで、団十郎は今度の「黄門記」の
江戸城中で光圀が護持院の僧を説破するくだりは、桜痴居士の加筆に成ったことを話して....