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河原者
「河原者〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
河原者の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「三浦老人昔話」より 著者:岡本綺堂
土蔵のなかへ引き摺り込まれたので、わたくしは少し不思議に思いました。 もしこの
河原者を成敗するならば、裏手の空地へでも連れ出しそうなものです。なぜこの土蔵の中....
「俳優倫理」より 著者:岸田国士
ているものがまだいます。 日本ではどうかというと、これは御承知と思いますが、「
河原者」という言葉がある。「河原乞食」ともいいます。これは元来歌舞伎劇というもの....
「四十年前」より 著者:内田魯庵
る理解があったは、それまで匹夫匹婦の娯楽であって士太夫の見るまじきものと侮蔑んだ
河原者の芸術を陛下の御覧に供したのでも明かである。今から見れば何でもないように思....
「くぐつ名義考」より 著者:喜田貞吉
憐に、不思議と覚えけり。 浄人とは本来掃除夫の称で、一条河原に小屋住居した所謂
河原者すなわち小屋者である。彼らは河原の如き空閑の地に佗住居して、市中の汚物掃除....
「サンカ者名義考」より 著者:喜田貞吉
知られるのは面白い。 エタが皮作りの職人のみでなく、かつては浄人(塵袋)をも、
河原者(※嚢抄)をも、青屋(三好記雍州府志)をも、エタの名を以て呼んでいた事は、....
「特殊部落の成立沿革を略叙してその解放に及ぶ」より 著者:喜田貞吉
いのはかの俳優すなわち歌舞伎役者であります。彼らももとは非人の一つに数えられて、
河原者・河原乞食などという名称があったのみならず、名優であってももと非人部落と言....
「特殊部落と寺院」より 著者:喜田貞吉
児高弁と署名せられているのである、この乞児・非人と、エタの起原と言われたキヨメ・
河原者の徒と、その外形に於いて相距ること幾許ぞ。昔は北山に籠って餌取の取り残した....
「エタと非人と普通人」より 著者:喜田貞吉
別のないものたる事は、容易に理会せらるべきものである。 エタと云い、夙と云い、
河原者と云い、その身分にも、取扱いにも、社会のこれに対する感情にも、それぞれ区別....
「エタ源流考」より 著者:喜田貞吉
るのである。これらの島や鴨河原へ、餌取や余戸の本職を失ったものが流れ込んで、所謂
河原者をなし、その或る者はエタと呼ばれ、或る者は天部と呼ばるるに至ったものではあ....
「「エタ」名義考」より 著者:喜田貞吉
名が職掌の類似からして、他のキヨメすなわち掃除人足や、河原に小屋住まいをしている
河原者などにも及んで、「塵袋」や「※たるエッタが、また肉食を辞しなかった事は言う....
「旃陀羅考」より 著者:喜田貞吉
は鴨御祖社すなわち下賀茂神社が、賀茂川の畔にあって、当時濫僧屠者の輩が、いわゆる
河原者または小屋者として、都に近いこの賀茂川原に小屋住まいする例であったから、特....
「賤民概説」より 著者:喜田貞吉
て、そして漂泊して京都に流れついたものが、賀茂川の河原に小屋掛けをして、いわゆる
河原者となるものが多かったが為に、特に「延喜式」の禁制の必要があったのである。 ....
「俗法師考」より 著者:喜田貞吉
そうに思われる。後の小法師は箒と緒太(草履)とを献上する例であったが、これはもと
河原者の習慣であったらしい。『言継卿記』に、
河原者が年始に来て緒太と箒とを呈した....
「融和問題に関する歴史的考察」より 著者:喜田貞吉
。今では芸術家などと呼ばれて、かなり社会に重んぜられる俳優の徒の如きも、かつては
河原者とも、河原乞食とも言われたものであります。 ここに
河原者とは、もと河原に....
「濫僧考」より 著者:喜田貞吉
いる。この事もいずれ本誌上で詳説するつもりであるが、要するに狭義の濫僧とは、この
河原者・坂の者・宿の者等、各種の小屋者の総称であらねばならぬ。そしてこれら濫僧の....