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「河竹〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

河竹の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
大川の水」より 著者:芥川竜之介
蔵野《むさしの》の昔は知らず、遠くは多くの江戸|浄瑠璃《じょうるり》作者、近くは河竹|黙阿弥《もくあみ》翁《おう》が、浅草寺《せんそうじ》の鐘の音とともに、その....
失楽園殺人事件」より 著者:小栗虫太郎
、君はさだめし不審に思うだろう。けれども、それが微塵も偽りのない実相なので、事実河竹に杏丸という二人の助手以外には、この私でさえも入ることを許されていなかったの....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
ず第一に高座で読みはじめる。それが大当りに当ったので、それを種にして芝居の方でも河竹が仕組んだのですが、それが又大当りで、今日までたびたび舞台に乗っているわけで....
日本天変地異記」より 著者:田中貢太郎
和泉の諸国の大地震で、伏見城の天守が崩壊して圧死者が多かった。この伏見の地震は、河竹黙阿弥の地震加藤の史劇で有名な地震で、石田三成等の纔者のために斥けられて蟄居....
霧陰伊香保湯煙」より 著者:三遊亭円朝
危険だから」 由「そう湯場働というのがあります、湯場を働くに姿を変えてというのは河竹さんに聞いた訳ではありませんが、芝居の台詞にもありますから気を付けて、何かゞ....
細木香以」より 著者:森鴎外
藤沢の清浄光寺の遊行上人から、許多の阿弥号を受けて、自ら寿阿弥と称し、次でこれを河竹其水に譲って梅阿弥と称し、その後また方阿弥と改め、その他の阿弥号は取巻の人々....
鳴雪自叙伝」より 著者:内藤鳴雪
ンに片足を切ってもらっていたのだが、うまく他の片足を使って芸をして、何とかいった河竹作物の傾城遠山と飛高川の清姫を勤めた。訥升の安珍や左団次の悪僧剛寂などもまだ....
旧聞日本橋」より 著者:長谷川時雨
顔のうれている男衆たちだった。 「毎年|是真《ぜしん》さんでござんすから、今年は河竹さんのにお頼みいたしまして――」 それは団扇の絵のことだった。河竹さんとは....
獄中への手紙」より 著者:宮本百合子
に東洋を知っていたかという側から書かれていてマルコ・ポーロがとまりです。創元で『河竹黙阿彌』河村繁俊。石井柏亭の『日本絵画三代志』明治からのです。著者が著者だか....
寄席と芝居と」より 著者:岡本綺堂
は福地桜痴居士であったが、居士はこうした世話狂言を得意としないので、さらに三代目河竹新七と竹柴|其水とが補筆して一日の通し狂言に作りあげた。初演の年月から云えば....
明治開化 安吾捕物」より 著者:坂口安吾
はもっての外の道楽息子なのである。 ところへ事件が起った。本郷の薬屋の息子で、河竹新七の弟子と称する狂言作者見習いの文学青年、小山田新作という者がヒサを見そめ....
市川九女八」より 著者:長谷川時雨
伝の所刑《しょけい》は九年ごろだったから――十一、二年ごろに菊五郎《ごだいめ》が河竹黙阿弥《かわたけもくあみ》さんに書下《かきおろ》してもらって、そうそう裁判所....
小坂部伝説」より 著者:岡本綺堂
したそうであるが、一向に手がかりがないので、古い番附面の絵すがたを頼りに、三代目河竹新七が講釈種によって劇に書きおろしたのであった。今度もわたしは尾上松助老人に....
明治劇談 ランプの下にて」より 著者:岡本綺堂
ので、その二月興行は「扇音々大岡政談」――例の天一坊で、それを書きおろした作者の河竹黙阿弥はその当時六十歳であったということを後に知った。いや、後に知ったのはそ....
明治演劇年表」より 著者:岡本綺堂
日本橋区橘町より出火し、久松座は新築後半年にして類焼す。 ○三月、狂言作者二代目河竹新七向島の梅屋敷に初代新七の石碑を建立し、荵塚という。 ○十一月、新富座の二....