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治山
「治山〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
治山の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「海野十三敗戦日記」より 著者:海野十三
しいという。 二月十五日 ◯敵B29、六十機名古屋地区へ主力を、また三重県の宇
治山田、浜松、静岡へも分力を以て来襲す。 東京へは七十三機ばかり来た。横浜方面....
「自叙伝」より 著者:大杉栄
貯えてあった米を馬の背中にざあざあ流して、敵に虚勢をはって見せたという城あとの加
治山。そこではまだ、頂上の狭い平地の赤土をちょっと掘ると、黒く焦げた焼米が出て来....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
火鉢の前へ御輿《みこし》を据えて、悠々と脂下《やにさが》っていました。 三 宇
治山田の米友は、この時分に八幡宮の境内を出て来ました。米友は油を買うべく、町へ向....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
馬の槍先が最初から怖ろしいのでそれで驚いたのではありませんでした。槍を取れば、宇
治山田の米友の眼中に人はなくなるのだから、驚いた後は小癪《こしゃく》に触《さわ》....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
童《かっぱ》みたような、気味の悪い」 これは子供でもなし、また河童でもなし、宇
治山田の米友《よねとも》でありました。 通るところの人々から同情されたり侮蔑《....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
か、お前が印度人でないと言う人があったの」 「うん」 「じゃあ何かい、お前が、宇
治山田の友さんのお化《ば》けだということを、誰か見物が言ったの」 「そうは言わね....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
を川ん中へ抛り込んだのは俺らの仕業《しわざ》に違えねえ、さあ何とでもしてみろ、宇
治山田の米友の槍を一本くらわせてやる」 米友の槍は、これを侮《あなど》っても侮....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
うとした時に、上野原の方から慌《あわただ》しくこの場へ飛んで来たのは誰あろう、宇
治山田の米友でありました。 二 米友は例の通り跛足《びっこ》....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
八 その晩、甲府八幡宮の茶所で大欠伸《おおあくび》をしているのは宇
治山田の米友であります。 土間には炭火がカンカンと熾《おこ》っている。接待の大....
「原爆詩集」より 著者:峠三吉
ちいさな頚が 石や鉄や古い材木の下で血を噴き どんなにたやすくつぶれたことか 比
治山のかげで 眼をお饅頭のように焼かれた友だちの列が おろおろしゃがみ 走ってゆ....
「ヒロシマの声」より 著者:豊島与志雄
弾は更に強力なもので、爆心地付近の屋根瓦の溶解度は、広島のよりも甚しい。広島の比
治山には、アメリカの施設による原爆被害調査機関のA・B・C・Cがあるが、機密に属....
「大鵬のゆくえ」より 著者:国枝史郎
ころが喜撰と申しますお方は、どういうお方でございましょうか」 「世捨て人だよ。宇
治山のな」 「ははあ、さようでございますかな」 「嵯峨天皇弘仁年間山城の宇治に住....
「安吾の新日本地理」より 著者:坂口安吾
内の案内所が甚しく不親切で、旅先の心細さが身にしみる。ともかく元気になれたのは宇
治山田駅へ着いてからで、駅内の交通交社案内所が親切そのものであったからだ。どうい....
「安吾の新日本地理」より 著者:坂口安吾
★ 私が自分の目で見た戦災地のうちで、一番復興がはかどらないのは、宇
治山田市。次が浦上であった。宇
治山田の戦災はきわめて小部分にすぎないが、その小さ....
「火葬と大蔵」より 著者:喜田貞吉
だ聞かざる所なり。 とある。宇治稚彦皇子とは稚郎子皇子の事であろう。皇子薨じて宇
治山上に葬るとは日本紀にあるが、散骨の事は記紀その他の古書にかつて見当らぬ。しか....