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法名
「法名〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
法名の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「恩讐の彼方に」より 著者:菊池寛
出家の志を定めた。彼は、上人の手によって得度《とくど》して、了海《りょうかい》と
法名を呼ばれ、ひたすら仏道修行に肝胆を砕いたが、道心勇猛のために、わずか半年に足....
「忠直卿行状記」より 著者:菊池寛
れ、配所たる豊後国府内《ぶんごのくにふない》に赴かれた。途中、敦賀にて入道され、
法名を一|伯《ぱく》と付けられた。時に元和《げんな》九年五月のことで、忠直卿は三....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
本と呼んでいました。本当の名は金光山大覚寺というのですが、宗対馬守の息女養玉院の
法名を取って養玉院と云うことになりました。この寺に高尾の碁盤と将棋盤が残っている....
「島原の乱」より 著者:菊池寛
四郎の母と姉からも、城中の甚兵衛、四郎宛に、同趣旨の手紙を送って居る。四郎の母は
法名をマルタと称し、四郎旗挙げに際して、熊本藩の手に捕われたのだが、母の為に臆す....
「出家とその弟子」より 著者:倉田百三
降る夜、石を枕にして門口にお寝みになったのにちなむのですって。それからお師匠様に
法名をつけてもらってくれと言っていました。 親鸞 あの人もずいぶん苦しまれたから....
「学生と先哲」より 著者:倉田百三
眼目であり、それは彼において切り離せないものであった。彼及び彼の弟子たちは皆その
法名に冠するに日の字をもってし、それはわれらの祖国の国号の「日本」の日であること....
「女難」より 著者:国木田独歩
ざいます、お幸に一目逢いたいという未練は山々でしたが、ここが大事の場合だと、母の
法名を念仏のように唱えまして、暗に乗じて山里を逃亡いたしました、その晩あたりは何....
「一枚絵の女」より 著者:国枝史郎
た。ところが貝塚三十郎という、そのお侍さんの眼には新発意の姿が――俗名は弥兵衛、
法名は源空――その人の姿がこれも仏様の、不動明王に見えましたそうで、『わしの過去....
「稚子法師」より 著者:国枝史郎
来ないようなあらゆる難行苦行をした。そうして間も無く名僧となった。阿信というのが
法名であったが世間の人は、『稚子法師』と呼んだ。曽て美しい稚子として山村蘇門に仕....
「光り合ういのち」より 著者:倉田百三
のでなくては決して活ける共同体ではないのである。 新しい墓が出来た。義兄は姉の
法名、佳室妙豊大姉というのを彫りつける下書きを文人的凝り性から、何百枚も書き直し....
「おせん」より 著者:邦枝完二
の。いやもう感心感心。この咽では、文字太夫も跣足だて」 「それはもう御隠居様。滅
法名代の土平でござんす。これ程のいい声は、鉦と太鼓で探しても、滅多にあるものでは....
「チベット旅行記」より 著者:河口慧海
い。
もしその子供が成長の後寺に入って坊さんになると、更にチョェ・ミンといって
法名を命ける。それから命名式の当日はその親族、朋友らからして酒肉あるいは衣服また....
「エリザベスとエセックス」より 著者:片岡鉄兵
徴収が必要で、それも「大々的の速度をもって、しかして、考えらるる限りのあらゆる適
法名目のもとに徴収すべし。いかなる名目が適法なるかを調査するために、理論家の委員....
「宝永噴火」より 著者:岡本かの子
か、眺めている自身がその白さなのか、はっきり判らぬ。聖者は訝かって「慧鶴(聖者の
法名)!」「慧鶴!」と自分の名を二声、三声呼んだ。すると音もなく飛びすさるものが....
「中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
て奉った。仁安二年、清盛太政大臣となった年、俊成と改名、五十四歳。安元二年出家、
法名釈阿。六十三歳。 当時歌人としては、六条家がすぐれていて、『詞花集』を撰ん....