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「法輪〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

法輪の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
文章」より 著者:芥川竜之介
すみよし》の明神《みょうじん》なども道明阿闍梨《どうみょうあざり》の読経を聴きに法輪寺《ほうりんじ》の庭へ集まったそうである。しかしそう云う微妙音《びみょうおん....
新年号の『文学評論』その他」より 著者:宮本百合子
の相互関係などをあきらかにする記事を根気づよく続けてのせる必要があると思う。『大法輪』という四百六十余頁の大宗教雑誌は新年特輯に「転向者仏教座談会」を催し、そこ....
連環記」より 著者:幸田露伴
い手を男の頸に捲きつけて、しがみ着いて来たら何様いうものだったか知らぬが、自然の法輪に逆廻りは無かったから、定基はあさましい其香に畏れ戦いて後へ退ったのである。....
大和路・信濃路」より 著者:堀辰雄
や》かしい目つきをしながら、村を北のほうに抜け出し、平群《へぐり》の山のふもと、法輪寺《ほうりんじ》や法起寺《ほっきじ》のある森のほうへぶらぶらと歩き出していた....
「平家物語」ぬきほ(言文一致訳)」より 著者:作者不詳
れどもどこへ行っても日本国でない身をかくすべき宿もないので「どうもしようがない、法輪はもう近くだから」と法輪の方へ行くと亀山の近くに松林の一つあるところにかすか....
古典竜頭蛇尾」より 著者:太宰治
き野。島は、浮島、八十島。浜は、長浜。浦は、生の浦、和歌の浦。寺は、壺坂、笠置、法輪。森は、忍の森、仮寝の森、立聞の森。関は、なこそ、白川。古典ではないが、着物....
雪の宿り」より 著者:神西清
三宝院の西は近衛殿より鷹司殿、浄華院、日野殿、東は花山院殿、広橋殿、西園寺殿、転法輪、三条殿をはじめ、公家のお屋敷三十七、武家には奉行衆のお舎八十ヶ所が一片の烟....
次郎物語」より 著者:下村湖人
暮ごろであったが、その新たな構想がまだまとまらないうちに、たまたま、宗教雑誌「大法輪」の編集者がたずねて来て、同誌上に第五部を連載したいという希望をのべた。すで....
丹那山の怪」より 著者:江見水蔭
中から掘出し物をする話しが土地の者の口から出た。田代の古城跡から武器が出たとか。法輪寺の門前から経筒が出たとか。中には天狗の爪が出たの、人魚の骨が出たのというの....
東洋文化史における仏教の地位」より 著者:高楠順次郎
うのでありますから、仏法というのは仏の理想、説法というのは仏が理想を説かれる、転法輪というのは仏が理想の輪を社会に転進して理想を実現せられるというような意味であ....
法隆寺再建非再建論の回顧」より 著者:喜田貞吉
ひとり法隆寺現存の古建築物のみならず、同君の以て同時代のものとなさるる法起寺及び法輪寺の三重塔の柱間が、いずれも大化以前の高麗尺によって設計せられたもので、これ....
西航日録」より 著者:井上円了
に着し、さらに乗車して二十六日午前八時、ベナレスに着す。これ釈尊成道後、はじめて法輪を転ぜられたる地と称す。着後ただちにロシア国博士マッチセン(Mathisen....
私本太平記」より 著者:吉川英治
正季だったが、旅はつつがなく、やがて四日目の昼、金剛山に帰り着いた。 頂上の転法輪寺には、松尾刑部やら、なつかしい顔が、大勢待っていてくれた。刑部は久子が嫁い....
私本太平記」より 著者:吉川英治
て、かなりの死傷も出していたことだった。 ただ以上のほか、金剛山の絶頂にある転法輪寺では、公卿の四条隆資が指揮をとって、そこの山伏党をつかっていた。山伏の働き....
私本太平記」より 著者:吉川英治
れがふと正季と共に、いまの乾びた笑いに出たのであった。 するとそこへ、頂上の転法輪寺から伝令があった。寺中にいる四条隆資が、正成へ、すぐ来てほしい、とのことだ....