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洋学
「洋学〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
洋学の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「近時政論考」より 著者:陸羯南
のありて、実に維新前慷慨志士〔すなわち当時の当路者〕の気風を続ぐ。この徒あるいは
洋学の初歩に通じたるあり、あるいは単に和漢の教育を受けたるあり、もとより一家の学....
「ルバイヤート」より 著者:小川亮作
がってヨーロッパのペルシア学者も、フィツジェラルドや彼にオマルを推称した友人の東
洋学者以前には、あまり『ルバイヤート』に注意を払わなかった。そういうわけで、一八....
「太平洋魔城」より 著者:海野十三
なかった。そもそも彼は、水産講習所を卒業後、学校に残って研究をつづけていた若き海
洋学者であって、海の学問については知っているが、原大佐からたずねられたような海の....
「探偵小説を截る」より 著者:坂口安吾
のみにするしか能がないか、この投書のみならず在来の探偵小説がそれを証明しており、
洋学移入可能の智能原始状態は探偵小説をもって第一人者となす。ヴァン・ダインだ、ク....
「わが血を追ふ人々」より 著者:坂口安吾
滅へ追ひ立てる気だ、と渡辺小左衛門は悟つた。彼は天草最大の富豪であり、和漢を始め
洋学にも通じたディレッタントで引込思案の男であつたが、レシイナに向けられた陰惨な....
「「吶喊」原序」より 著者:井上紅梅
事である。というのは、当時は読書して科挙の試験に応じるのが正しい道筋で、いわゆる
洋学を学ぶ者は、路なき道に入る人で、霊魂を幽霊に売渡し、人一倍も疎んぜられ排斥さ....
「明治開化 安吾捕物」より 著者:坂口安吾
どうなさいますの」 「ナニ、医者は東京にワシ一人ではあるまいて。第一ワシは漢方に
洋学のサジ加減をちょッと加味したような雑種なのさ。ワシの倅が三年前に医学校を卒業....
「三筋町界隈」より 著者:斎藤茂吉
谷川翁の晩年は仏学|即ち仏教経典の方に凝ったなどはなかなか面白いことでもあり、西
洋学の東漸中、医学がその先駆をなした点からでも、医学書生の何処かに西洋的なところ....
「瘠我慢の説」より 著者:石河幹明
めたる外国人ありしは、その頃の新聞紙に見えて世人の記憶するところならん。当時或る
洋学者の家などにはこの種の外国人が頻りに来訪して、前記のごとき計画を説き政府に取....
「瘠我慢の説」より 著者:木村芥舟
海軍の歴史に堙没すべからざるものなり。 当時、諭吉は旧中津藩の士族にして、夙に
洋学に志し江戸に来て藩邸内に在りしが、軍艦の遠洋航海を聞き、外行の念自から禁ずる....
「ハイカラ考」より 著者:木村荘八
般にわからない字や言葉は使わないものである。――昭和二年に、大槻如電編輯の『新撰
洋学年表』の改版広告が新聞へ出た時、割註を入れて、「御存知の方は御存知なるべし」....
「妖怪玄談」より 著者:井上円了
ここにまた、コックリは人の思想に従って起こるゆえんを証する一事実あり。近ごろ
洋学書生の内にては、コックリに向かって、英語またはドイツ語をもって問答することあ....
「チベット旅行記」より 著者:河口慧海
の原書を得る為にはぜひネパールあるいはチベットに行かなくてはならぬ。なお欧米の東
洋学者の説によるとチベット語に訳された経文は文法の上からいうても意味の上からいう....
「欧米各国 政教日記」より 著者:井上円了
の宗教は、その理論一歩もヤソ教に及ばざるにあらず、かえってその上にあるは、今日西
洋学者もすでに許すところなり。かつ、その宗教中に説くところの道徳、品行は、決して....
「西航日録」より 著者:井上円了
潘飛声に面会す。ともに余が旧知なり。なかんずく潘氏は、十五年前ドイツ・ベルリン東
洋学校の聘に応じて、シナ学教授の職にあり。余、ときに再四相会して文林の交をなせり....