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流祖
「流祖〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
流祖の前後の文節・文章を表示しています。該当する14件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「神州纐纈城」より 著者:国枝史郎
。 性|磊落且つ俊敏、金にも淫せず威武にも屈せず、天下の英雄眼中になしと、こう
流祖伝に記してあるが、そういう人物であったればこそ、上杉謙信を向こうへ廻わし、駄....
「巌流島」より 著者:直木三十五
一 「天真正伝神道流」の
流祖、飯篠長威斎家直《いいざきちょういさいいえなお》が当時東国第一の兵法者とされ....
「梅津只円翁伝」より 著者:杉山萠円
いつまでも尊く、ありがたく、涙ぐましく仰がれるように思う。 現代の能楽師の如く
流祖代々の鴻恩を忘れて、浅墓な自分の芸に慢心し、日常の修養を放漫にする。又は功利....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
しそうに、同じく頭の上の額堂の軒にかかった大きな掛額をながめました。 「甲源一刀
流祖|逸見《へんみ》太四郎|義利孫逸見利泰《よしとしそんへんみとしやす》……」 ....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
、それを伝えた老教士の口と、腕とには、なかなか敬服すべきものがあったねえ――その
流祖の鶴見というのは、年代はよく知らんが、たしか戦国時代の人であって、一つ面白い....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
ないことは勿論、その表看板の剣術にしてからが、天然理心流の一派の家元といえば武芸
流祖録には出ているが、柳生だの、心陰だの、一刀流だのと比べては比較にならぬ田舎剣....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
えって通り過ごしたかも知れません。 無眼流の名は今でこそあまり聞かないが、武術
流祖録中に立派に存在する意義ある一流。 町並になっている狭い間口の一方を、少し....
「丹下左膳」より 著者:林不忘
は言い条《じょう》、自源流とよりはむしろ蒲生流といったほうが当たっているくらい、
流祖自源坊の剣風をわが物としきっている侠勇《きょうゆう》蒲生先生、とっさに付け入....
「日置流系図」より 著者:国枝史郎
氏もない多右衛門は爾来江戸に止どまって弓道師範となったのであった。 日置弾正を
流祖とした日置流弓道は後世に至って、露滴派、道雪派、花翁派、雪荷派、本心派、道怡....
「前記天満焼」より 著者:国枝史郎
籠めた気合で抜き打ったら、厭でも太刀は若侍の、左胴へ入るに相違ない。根岸|兎角を
流祖とした、微塵流での真の位、即ち「捩螺」の構えである。 「ううむこいつは素晴ら....
「名人地獄」より 著者:国枝史郎
した。拳一つに全身隠れ、鵜の毛で突いた隙もない。北辰一刀流直正伝拳隠れの真骨法、
流祖周作か平手造酒か、二人以外にこれほどの術を、これほどに使う者はない。「あっ」....
「宮本武蔵」より 著者:吉川英治
及ばねえや」 「おれを知らんか」 「知ってるもんか」 「越前宇坂之庄、浄教寺村の
流祖、富田五郎左衛門が歿後の門人佐々木小次郎とはわしのことだ」 そういったら逃....
「随筆 宮本武蔵」より 著者:吉川英治
諸国を踏破するのが、本来であったにちがいない。 林崎夢想流という抜刀(居合)の
流祖林崎甚助重信などは、やはり天文、永禄の時代を、その郷土出羽国を出て、諸州を歩....
「柳生月影抄」より 著者:吉川英治
が、柳生家の子よ、柳生流のつかい手よと、世に思われては、わが家の流を誤るのみか、
流祖の御恥辱と申さねばならぬ。それもこれも、上様より戴く高禄に安んじ、子に愚かな....