浄人[語句情報] »
浄人
「浄人〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
浄人の前後の文節・文章を表示しています。該当する9件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「怪談牡丹灯籠」より 著者:三遊亭円朝
蔭で漸く取押え、誠に有り難う存じます、何うかお名前を承わりとう存じます」 相「不
浄人を取押えたとて姓名なぞを申すには及ばん、これ/\/\重箱を落したから捜してく....
「早耳三次捕物聞書」より 著者:林不忘
す》に出ても大之進は口を緘《とざ》して語らなかった。 「この者をお咎めあるな。不
浄人に力を藉して拙者を絡めたくらい、下郎は何事も存じ申さぬ。あくまでも伊丹大之進....
「くぐつ名義考」より 著者:喜田貞吉
たに疑いはない。 なお漂泊民と莎草との関係を彷彿せしめるものに、自分は今物語の
浄人の話を提供したい。今物語は藤原信実の著だとあって、鎌倉時代のものであるが、そ....
「サンカ者名義考」より 著者:喜田貞吉
とも云っていた事が知られるのは面白い。 エタが皮作りの職人のみでなく、かつては
浄人(塵袋)をも、河原者(※嚢抄)をも、青屋(三好記雍州府志)をも、エタの名を以....
「「エタ」名義考」より 著者:喜田貞吉
物語」に見ゆるキヨメは、一条河原の小屋に住んだ河原の者であった。キヨメはすなわち
浄人で、穢人の反対語を以て表わしたものとも解せられる。当時|触穢の禁忌をやかまし....
「旃陀羅考」より 著者:喜田貞吉
例であったから、特にその禁止を明文に示したにほかならぬ。そして鎌倉時代にキヨメ(
浄人)と呼ばれたものは、実にこの河原者、小屋者の徒であったのだ。「今物語」に或る....
「賤民概説」より 著者:喜田貞吉
とも云っている。春日王は癩病になられたがために、奈良坂に隠棲し給い、その子の弓削
浄人がこれを孝養するについて、朝|夙く起きて市中に花売をした。それで市人が弓削|....
「俗法師考」より 著者:喜田貞吉
寺の所属としての彼らは、寺院境内境外の掃除を掌ったもので、『塵袋』にエタと称した
浄人の徒であった。したがって彼らは掃除以外警固の任にも当たった。一朝ことある場合....
「融和問題に関する歴史的考察」より 著者:喜田貞吉
『塵袋』という本には、河原者を「キヨメ」というとあります。「キヨメ」とは文字に「
浄人」と書いて、京都の町の穢いものを掃除する人夫のことです。彼らは河原に小屋住居....