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浅井
「浅井〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
浅井の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「三浦右衛門の最後」より 著者:菊池寛
引き抜く豪傑はたくさんいるが、人間らしい人間を常に miss していた。自分は、
浅井了意の犬張子を読んで三浦右衛門の最後を知った時、初めて“There is a....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
から、一月はまだ万延二年のわけですが……。その頃、京橋の築地、かの本願寺のそばに
浅井|因幡守《いなばのかみ》という旗本屋敷がありました。三千石の寄合《よりあい》....
「姉川合戦」より 著者:菊池寛
原因 元亀元年六月二十八日、織田信長が徳川家康の助力を得て、江北姉川に於て越前の朝倉義景、江北の
浅井長政の連合軍を撃破した。これが、姉川の合戦である。 この合戦、
浅井及び織田....
「桶狭間合戦」より 著者:菊池寛
本軍 今川義元 五千人 鳴海城守備 岡部三信 七八百人 沓掛城守備
浅井政敏 千五百人 更に大高城の鵜殿長照をして丸根鷲津攻撃の応援をさせる。この....
「長篠合戦」より 著者:菊池寛
郷、森庄蔵|長可、木下藤吉郎秀吉、明智十兵衛光秀等が陣した。都合総勢三万である。
浅井朝倉を退治した信長は、此一戦大事と見てオールスター・キャストで来ているのであ....
「賤ヶ岳合戦」より 著者:菊池寛
合せざらしめん為には、此処の要害最も厳重にしなければならぬ」と云った。秀吉はかの
浅井長政との合戦以来、江州には長く住んで居て、地理にも下情にも通じて居るので、忽....
「山崎合戦」より 著者:菊池寛
あまりに率直な自信のある行動が自分の知らぬ裡に、人の恨みを買うように出来ている。
浅井長政なと、可なり優遇して娘婿にしたのにも拘わらず、朝倉征伐に行ったときその背....
「神州纐纈城」より 著者:国枝史郎
そういう言葉を使ったのではないよ。私の持論から割り出すと、今川であれ北条であれ、
浅井であれ朝倉であれ、世のいわゆる武人なるものは、一切合切野蛮人なのさ」 「それ....
「魔法修行者」より 著者:幸田露伴
世界においてもそれだけの事はあった人である。 織田信長が今川を亡ぼし、佐※木、
浅井、朝倉をやりつけて、三好、松永の輩を料理し、上洛して、将軍を扶け、禁闕に参っ....
「中国怪奇小説集」より 著者:岡本綺堂
それはこの『申陽洞記』をそっくり書き直したものでございます。一方の『牡丹燈記』が
浅井了意の『お伽ぼうこ』や、円朝の『牡丹燈籠』に取り入れられているのは、どなたも....
「蒲生氏郷」より 著者:幸田露伴
置かれた。或時稲葉一鉄が来て信長と軍議に及んだ。一鉄は美濃三人衆の第一で、信長が
浅井朝倉を取って押えるに付けては大功を立てて居る、大剛にして武略も有った一将だ。....
「呉秀三先生」より 著者:斎藤茂吉
塩センベイ一、二枚。夕。焼|鰮四尾。粥三ワン。フヂ豆。佃煮。ナラ漬。飴二切。巴里
浅井氏ヨリ上ノ如キ手紙来ル。 こう書いてあって、そのうえの方にワットマン紙の水....
「光り合ういのち」より 著者:倉田百三
に容易いことであろうか? 八つの歳に私は初恋をした。 今でも名を覚えている。
浅井じつという同級生の女の子であった。鼈甲屋の養女であった。私はやはり同級の世良....
「鰻に呪われた男」より 著者:岡本綺堂
はじめの朝でございました。ひとりの男がわたくしの家へたずねて来ました。その名刺に
浅井秋夫とあるのを見て、わたくしは又はっとしました。Uの温泉場で松島さんに紹介さ....
「俗法師考」より 著者:喜田貞吉
においても、本郷の民これを餌取に近き者の如く(『以文会筆記』)にいった。 近江
浅井郡湯田村大字八島は、本郷の外に出八島と大夫との三つの在所に分かれ、その大夫村....