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清心
「清心〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
清心の前後の文節・文章を表示しています。該当する14件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「大川の水」より 著者:芥川竜之介
物の中に用いたものは、実にこの大川のさびしい水の響きであった。十六夜《いざよい》
清心《せいしん》が身をなげた時にも、源之丞《げんのじょう》が鳥追姿《とりおいすが....
「「いき」の構造」より 著者:九鬼周造
。「たまたま逢ふに切れよとは、仏姿《ほとけすがた》にあり乍《なが》ら、お前は鬼か
清心様《せいしんさま》」という歎きは十六夜《いざよい》ひとりの歎きではないであろ....
「高野聖」より 著者:泉鏡花
経《きょう》に節《ふし》をつけて外道踊《げどうおどり》をやったであろう、ちょっと
清心丹《せいしんたん》でも噛砕《かみくだ》いて疵口《きずぐち》へつけたらどうだと....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
しげなのもある。その中にまじって、明真慈徳居士、行年七十二歳とあるは半蔵の父だ。
清心妙浄大姉、行年三十二歳とは、それが彼の実母だ。彼は伊之助と共に、それらの位牌....
「田舎教師」より 著者:田山花袋
ついでに今日の費用を数えてみた。新郷で買った天狗煙草が十銭、途中の車代が三十銭、
清心丹が五銭、学校で取った弁当が四銭五厘、合計四十九銭五厘、持って来た一円二十銭....
「千世子」より 著者:宮本百合子
エ、寝坊したんで今朝は一寸も話せませんでしたネエ、少しかおが青うござんすよ、何か
清心丹か何かもつかのむかしていらっしゃい、ネ、一寸、お嬢さんに何かかるいものをも....
「寄席と芝居と」より 著者:岡本綺堂
回興行に過ぎなかった。今日では一年十二回の興行である。たとえば黙阿弥作の「十六夜
清心」や「弁天小僧」のたぐい、江戸時代には唯一回しか上演されないにも拘らず、明治....
「人生における離合について」より 著者:倉田百三
の平常の愛の結合の純熱であったかを思いやられて感動を禁じ得ない。また清元の十六夜
清心には「蓮の浮き葉の一寸いと恍れ、浮いた心ぢやござんせぬ。弥陀を契ひに彼の世ま....
「顎十郎捕物帳」より 著者:久生十蘭
あみ》の『小袖曽我薊色縫《こそでそがあざみのいろぬい》』で、小団次《こだんじ》の
清心《せいしん》に粂三郎《くめさぶろう》の十六夜《いざよい》、三十郎《さんじゅう....
「役者の一生」より 著者:折口信夫
である。そして源之助は、自分の柄に合わないものまで随分している。切られの与三郎や
清心のようなものを継承するのは、少しも怪しむに足らぬ至極当然なことだが、場合によ....
「清心庵」より 著者:泉鏡花
で、駕籠を舁いてぞろぞろとやって来おった。や、それが空駕籠じゃったわ。もしもし、
清心様とおっしゃる尼様のお寺はどちらへ、と問いくさる。はあ、それならと手を取るよ....
「妾宅」より 著者:永井荷風
んせ諦めしゃんせと響くのである。されば隣りで唄《うた》う歌の文句の「夢とおもひて
清心《せいしん》は。」といい「頼むは弥陀の御《お》ン誓ひ、南無阿弥陀仏々々々々々....
「深川の散歩」より 著者:永井荷風
》を買って来て寄せ書きをやる。阿久の三味線で何某が落人《おちうど》を語り、阿久は
清心《せいしん》を語った。銘々の隠芸《かくしげい》も出て十一時まで大騒ぎに騒いだ....
「すみだ川」より 著者:永井荷風
く歩み出る。女と摺《す》れちがいに顔を見合して、 「十六夜《いざよい》か。」 「
清心《せいしん》さまか。」 女は男に縋《すが》って、「逢《あ》ひたかつたわいな....