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満州事変
「満州事変〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
満州事変の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「最終戦争論」より 著者:石原莞爾
あったが如く、廃藩置県にあった如く、昭和維新の政治的眼目は東亜連盟の結成にある。
満州事変によってその原則は発見され、今日ようやく国家の方針となろうとしています。....
「思想と風俗」より 著者:戸坂潤
会的に相当の重大さを持つようになったもののことをいうのか。その時期を画するものは
満州事変以来だということである。この事変以来、平均日に幾つかずつの新宗教が発生し....
「世界の一環としての日本」より 著者:戸坂潤
りなかったためだったとすれば、恐懼の至りでなくてはならぬ。 軍部はだから、遠く
満州事変や上海事変、又例の河北省問題やチャハル問題の、一貫した劇の筋書きの上から....
「社会時評」より 著者:戸坂潤
従って何等か××××××××が暴露されるという心配も無用だった筈である。尤も、「
満州事変の際には目黒区に居住の有力な某政治浪人(特に名を秘す)の早耳により約十万....
「現代日本の思想対立」より 著者:戸坂潤
この変化をあまり大げさに考えてはならない。これから見て行く通り、根本的な点では、
満州事変以来、軍部とブルジョアジーとの思想内容は大同小異を出ないのだ。ただ行く処....
「肝臓先生」より 著者:坂口安吾
う云って先生は一礼ののち、 「さて、次に、ひとつ、お願いがございますが、昭和七年
満州事変以来、ポツポツ亜黄疸の患者があって肝臓肥大に気付くようになりましたが、そ....
「次郎物語」より 著者:下村湖人
それを默殺するだけの勇気はあるまい。彼にはそんなふうにも思えるのだった。それは、
満州事変このかた、軍部に対する血書の歎願といったようなものが青年の間に流行し、そ....
「次郎物語」より 著者:下村湖人
したいという意向をもらしていた。それをある人が田沼さんの耳に入れた。田沼さんは、
満州事変以来日本の流行のようになっている塾風教育が、人間性を無視した、強権的な鍛....
「髪」より 著者:織田作之助
までだ、俺は俺の頭を守ると、私は気障な言い方をして、寮を去り下宿住いをした。丁度
満州事変が起った直後のことであった。 寮生はすべて丸刈りたるべしという規則は、....
「浅沼稲次郎の三つの代表的演説」より 著者:浅沼稲次郎
は戦争で迷惑をかけた国々とのあいだに平和を回復し大公使を交換しています。しかるに
満州事変いらい第二次世界戦争が終るまでいちばん迷惑をかけた中国とのあいだには国交....
「私の履歴書」より 著者:浅沼稲次郎
らはじめて衆議院議員選挙に打って出たが、これも三千二百票ばかりで惨敗した。ついで
満州事変直後の昭和七年一月、総選挙が実施されたが、分裂した無産政党の大同団結がな....
「思想議会たるを知れ」より 著者:戸坂潤
れようとしている。之には所謂外交の失敗ということが何より効き目があったのである。
満州事変以来、日本の外交は何と云っても成功の二字につきている。少くとも成功であっ....
「戦争ジャーナリスト論」より 著者:戸坂潤
ていいようなジャーナリズム(ここでは特に評論に限定した方がいいようだ)の様式は、
満州事変以来軍部の社会勢力台頭と共に発達したものなので、その観念はまだ若いと共に....
「一九三七年を送る日本」より 著者:戸坂潤
非公式心理によって多少とも裏切られて見えたのが、上半期の事実であった。 かつて
満州事変の成立によって獲得された国民的人気は、新しい何等かの軍事事変を機会として....
「戦争史大観」より 著者:石原莞爾
係上、爾後の健康は昔日の如くでなく、且つ中年の中耳炎は根本的に健康を破壊し、殊に
満州事変当時は大半、横臥して執務した有様であった。 かような関係で族順では遂に....