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「滋賀〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

滋賀の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
大菩薩峠」より 著者:中里介山
た、京都のこのごろは、物騒千万で怖ろしいということを聞いている。逢坂山のこちら、滋賀の海、大津の都、三井の鐘、石山の月……竹生島《ちくぶじま》の弁天様へ舟で参詣....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
ばいいのだ、今、絵図面を見せるから」 と言って、不破の関守氏は行李の中から一枚の滋賀県地図――ではない、近江一国の絵図面を取り出してひろげ、それをがんりきの眼の....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
あるものは胆吹山まで持越して隠して置く。それをするには、京都に近く、奈良に近く、滋賀と浪速《なにわ》とを控えたこのあたりが、絶好のところであり、今の時が絶好の時....
死者の書」より 著者:折口信夫
だ。 四五十年あとまでは、唯関と言うばかりで、何の標もなかった。其があの、近江の滋賀の宮に馴染み深かった、其よ。大和では、磯城の訳語田の御館に居られたお方。池上....
鳴雪自叙伝」より 著者:内藤鳴雪
かった。 京都の藩邸へは出入りの人々がある。そのおもな者には、徳大寺殿の家来の滋賀右馬大允というのがある。松山藩はこの徳大寺家を経て朝廷への用を多く弁じていた....
万葉秀歌」より 著者:斎藤茂吉
址の荒れたのを見て作った長歌の反歌である。大津宮(志賀宮)の址は、現在の大津市南滋賀町あたりだろうという説が有力で、近江の都の範囲は、其処から南へも延び、西は比....
花子の陳述」より 著者:豊島与志雄
した。」 そして、実際、数日後に、良吉さんは美津子さんを説き伏せたそうでした。滋賀県の郷里に手紙を出して、京子さんの死亡のことやその戒名まで書き入れた返事を貰....
顎十郎捕物帳」より 著者:久生十蘭
までもなく捨蔵さまのいられる所の名にちがいない。……漢字で三字ということだから、滋賀の五箇庄は言うまでもなく、五峰山から五郎潟、武蔵の五日市といたるところを訊ね....
顎十郎捕物帳」より 著者:久生十蘭
っくり、苦茗《くめい》をすすり、 「……鳥見役、網差、両名立ちあいにてお鶴医者|滋賀石庵《しがせきあん》が羽交《はがい》の下をあらため見たところ、胸もと、……心....
なよたけ」より 著者:加藤道夫
かかるからな。暗くならない内に、私は国境いを越して、出来ることなら、今夜のうちに滋賀の国のあの湖辺の町までは何とかして辿りついてやろうと思っている。おや! あそ....
山越しの阿弥陀像の画因」より 著者:折口信夫
伊豆|大仁などに籠って書いたのが、大部分であった。はじめは、此書き物の脇役になる滋賀津彦に絡んだ部分が、日本の「死者の書」見たようなところがあるので、これへ、聯....
雪代山女魚」より 著者:佐藤垢石
道などではヤマベと称している。また、ヤモメと言っているところもある。岐阜県から、滋賀県、京都府へかけてはアメノウオ、またはアマゴなどと呼び、中国地方ではヒラメ、....
活人形」より 著者:泉鏡花
て警察へ訴え出でし事もあれど、狂気の沙汰とて取上げられず。力無く生甲斐無く、漣や滋賀県に佗年月を過すうち、聞く東京に倉瀬とて、弱きを助くる探偵ありと、雲間に高き....
澪標」より 著者:外村繁
私が生れたところは滋賀県の五個荘である。当時は南、北五個荘村に分れていたが、今は旭村と共に合併して....
エタ源流考」より 著者:喜田貞吉
れるものは、普通民との数の比較の上から云えば、畿内地方から、兵庫・和歌山・三重・滋賀等、畿内の付近地方が最も濃厚で、岡山・広島等の中国筋から、四国・九州北部とい....