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「漢学者〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

漢学者の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
或る女」より 著者:有島武郎
してしまった。 七 葉子はその朝横浜の郵船会社の永田から手紙を受け取った。漢学者らしい風格の、上手《じょうず》な字で唐紙牋《とうしせん》に書かれた文句には....
食魔」より 著者:岡本かの子
」 鼈四郎は吐くようにこういって腕組みをした。 この市隠荘はお絹等姉妹の父で漢学者の荒木蛍雪が、中橋の表通りに画帖や拓本を売る蛍雪館の店を開いていた時分に、....
山崎合戦」より 著者:菊池寛
の本能寺襲撃は、物の見事に成功した。信忠まで、二条城で父に殉じた。太田錦城と云う漢学者は慷慨の士だが、信忠がこんなときに逃げないのは無智の耻を耻じているので犬死....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
学んでいるという人のうわさも聞かなかった。ただ一人、木曾福島の武居拙蔵、その人は漢学者としての古賀※庵に就き、塩谷宕陰、松崎慊堂にも知られ、安井息軒とも交わりが....
梅津只円翁伝」より 著者:杉山萠円
、親類連中は勿論のこと、同郷出身の相当の名士や豪傑が来ても頭ごなしに遣り付ける、漢学者一流の頑固な見識屋であったにも拘らず、翁の前に出ると、筆者が五遍ぐらいお辞....
富岡先生」より 著者:国木田独歩
読を授った室に通った。無論大学に居た時分、一夏帰省した時も訪うた事はある。 老漢学者と新法学士との談話の模様は大概次の如くであった。 「ヤア大津、帰省ったか」....
黒百合」より 著者:泉鏡花
が絶えて無いので、三年間千破矢家を預っていて今も滝太郎を守立ててる竜川守膳という漢学者。 守膳は学校の先生から滝太郎の母親の遺書を受取ったが、その時は早や滝太....
万葉秀歌」より 著者:斎藤茂吉
があるのかも知れぬ。斯くの如く憶良の歌は当時の人々に尊敬せられたのは、恐らく彼は漢学者であったのみならず、歌の方でもその学者であったからだとおもうが、そのあたり....
初恋」より 著者:国木田独歩
。イヤサ事実だが試みにそう仮定せよということサ。 この老人の頑固さ加減は立派な漢学者でありながらたれ一人相手にする者がないのでわかる。地下の百姓を見てもすぐと....
歯車」より 著者:芥川竜之介
|獅子のように白い頬髯を伸ばした老人だった。のみならず僕も名を知っていた或名高い漢学者だった。従って又僕等の話はいつか古典の上へ落ちて行った。 「麒麟はつまり一....
離魂病」より 著者:岡本綺堂
が、牛込寄りのほうに猪波図書という三百五十石取りの旗本の屋敷があった。その隠居は漢学者で、西岡や叔父はかれについて漢籍を学び、詩文の添削などをしてもらっていた。....
光り合ういのち」より 著者:倉田百三
太郎という校長さんは痩躯で目の鋭い精神家であった。私の町に二十年勤続し、筋のいい漢学者であった。この先生は後見出されて広島の中学に栄転したが、その訣別の辞にも、....
二葉亭四迷の一生」より 著者:内田魯庵
した。高谷塾というは『日本全史』というかなり浩澣な大著述をしたその頃の一と癖ある漢学者高谷龍洲の家塾であって、かなり多数の書生を集めて東京の重なる私塾の一つに数....
露伴の出世咄」より 著者:内田魯庵
訊いて、初めて幸田露伴というマダ青年の秀才の初めての試みであると解った。 翁は漢学者に似気ない開けた人で、才能を認めると年齢を忘れて少しも先輩ぶらずに対等に遇....
福沢諭吉」より 著者:高山毅
いでした。ひじょうにしょうじきで、まじめな人であり、また、学問のすきな、すぐれた漢学者でした。けれども、身分がひくいために、つまらない役職にがまんしていなければ....