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烏丸光広
「烏丸光広〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
烏丸光広の前後の文節・文章を表示しています。該当する7件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「興津弥五右衛門の遺書」より 著者:森鴎外
され、跡には泰勝院殿幽斎藤孝公御留守遊ばされ候。景一は京都赤松殿|邸にありし時、
烏丸光広卿と相識に相成りおり候。これは光広卿が幽斎公和歌の御弟子にて、嫡子光賢卿....
「宮本武蔵」より 著者:吉川英治
、その後、豊臣秀頼さまだの、浅野|幸長さまだの、細川忠興さまだの、なお公卿方では
烏丸光広さまなどが、しきりと惜しがって、一寺を建立するから来いとか、寺禄を寄進す....
「宮本武蔵」より 著者:吉川英治
は満足して、さて、 「頼みというのは、お汝たちが、京都へ行った折に、これを堀川の
烏丸光広|卿のお手許まで届けてほしいのじゃが」 と、壁のちがい棚から、ふた巻の....
「宮本武蔵」より 著者:吉川英治
信のあるところで、まず今の名筆家をかぞえるならば、男山八幡に住む松花堂|昭乗か、
烏丸光広卿か、近衛信尹公――あの三藐院風と世間でいうところの書風の創始者か――こ....
「宮本武蔵」より 著者:吉川英治
の伊達屋敷におりましたのじゃ。あの一乗寺の斬合いがあった翌日、何気なくいつも参る
烏丸光広卿をお館にたずねてゆくと、そこで種々な尊公の噂。お館は一度、尊公とも会っ....
「宮本武蔵」より 著者:吉川英治
愚堂門下にずっといる本位田又八。京都三条車町の細川邸の侍たち二、三名。 また、
烏丸光広卿の名代として供連れの公卿侍の一行。 それから、半年ほどの京都滞在中に....
「随筆 宮本武蔵」より 著者:吉川英治
も沢庵と細川家の藩老長岡佐渡、その他京都を中心とする当時の文化人、近衛三藐院だの
烏丸光広だの松花堂|昭乗だの――とその範囲は驚くべき広汎さをもって出ては来るが、....