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無声
「無声〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
無声の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「惰眠洞妄語」より 著者:辻潤
―トラのりふれんが時々きこえて来る。それには恐ろしい東北の訛がある。それは詩人の
無声慟哭だ。 屈折率、くらかけの雪、丘の幻惑、カーバイト倉庫、コバルト山地、霧....
「安重根」より 著者:谷譲次
大声に) かの奸悪なる老賊め われわれ民族二千万人 滅種の後に三千里の錦綾江山を
無声の裡に奪わんと 青年らは凝然と聞き入っている。 青年J (突然叫ぶ)何でもい....
「生ける人形」より 著者:寺田寅彦
んの期待をかけてもはなはだしい見当ちがいではないかと思われる。実際チャップリンの
無声映画に現われる一つのタイプとしてのチャーリーは、あれはたしかに一つの人形であ....
「映画芸術」より 著者:寺田寅彦
ておく必要のあるのは、発声映画の問題である。始めから発声映画を取って考えるのと、
無声映画時代というものを経て来た後に現われた発声映画を考えるのとでは、考え方によ....
「霊魂第十号の秘密」より 著者:海野十三
、鳥の啼声《なきごえ》のような声をたてた。 そのとき来会者たちは、聖壇の上に、
無声《むせい》の火花のようなものがとんだように思ったということだ。が、それはそれ....
「洪水大陸を呑む」より 著者:海野十三
代の人々がしゃべっている声が、十分に再生できないんだ」 「じゃあ、トーキではない
無声映画というのがありますね。あれみたいなものですか」 「全然
無声というわけでも....
「“歌笑”文化」より 著者:坂口安吾
落語界の新型であったころ、芸界では、もっとケタ違いに花々しい流行児があり、それが
無声映画であり、活弁であった。今の徳川夢声と生駒雷遊が人気の両横綱で、群をぬいて....
「映画と民族性」より 著者:伊丹万作
と考えている。 今にして思えばアメリカ映画が最もその国際性を発揮したのはやはり
無声映画の末期であり、ちよびひげをつけ、山高帽をかぶり、だぶだぶのズボンをはいた....
「雑文的雑文」より 著者:伊丹万作
つているわけである。しかるに日本にはトーキー俳優というものはまだいない。ほとんど
無声映画時代の俳優をそのまま使つているのである。その中にはトーキーに適している人....
「オフェリヤ殺し」より 著者:小栗虫太郎
法を編み出させたのだよ。それは、耳を塞いで物を云うと判る事だが、ハ行やサ行などの
無声音以外は、欧氏管を伝わって内耳に唸りを起す。然しその
無声音も、胸腔に響かせて....
「駅夫日記」より 著者:白柳秀湖
やかな空気を透してはるかに水車の響が手にとるように聞えて来る、その水車の響がまた
無声にまさる寂しさを誘うのであった。 人の橋を渡る気配がしたので、私はフト背後....
「子規居士と余」より 著者:高浜虚子
舞に比較して舞のようだという嘲罵を受けたので爾来遣らぬことにした。 余が京都で
無声会という会を組織して回覧雑誌を遣っていた時も繞石君はその仲間であった。――序....
「穂高岳槍ヶ岳縦走記」より 著者:鵜殿正雄
らず、鳥も歌わない、虫も鳴かねば、水音も聞えぬ、一行の興じ声が絶えると、森として
無声、かくも幽寂しき処が世にもあろうかと思われた。九時、石造の堅き寝台に横たわっ....
「チベット旅行記」より 著者:河口慧海
え、しかしてこの湖水を擁してずらりと列べる雪峰は天然の白衣観音あるいは妙音菩薩が
無声の音楽を弄して毘婁遮那大仏に供養するかのごとく、実に壮快なる天然の曼陀羅を現....
「仏教人生読本」より 著者:岡本かの子
しか受取れないのであります。独り合点に終るのであります。よく「無弦の琴」とか、「
無声の韻」とかいう言葉がありますが、これはその心境を解したもの同志の間で言うこと....