» 焼打

「焼打〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

焼打の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
霊界通信 小桜姫物語」より 著者:浅野和三郎
て見ると、数限りもない御一|代中で、最大の御危難といえば、矢張り、あの相摸国での焼打だったと申すことでございます。姫はその時の模様丈は割合にくわしく物語られまし....
瘠我慢の説」より 著者:石河幹明
の薩州邸を砲撃し、更らに浜御殿を占領して此処より大城に向て砲火を開き、江戸市街を焼打にすべし云々とて、その戦略さえ公言して憚からざるは、以て虚喝に外ならざるを知....
最終戦争論」より 著者:石原莞爾
予言しています。末法に入ると、叡山の坊さんは、ねじり鉢巻で山を降りて来て三井寺を焼打ちにし、遂には山王様のお神輿をかついで都に乱入するまでになりました。説教すべ....
私の履歴書」より 著者:井上貞治郎
十八年、日露戦争も終りを告げたころである。世間はさわがしく、東京では日比谷原頭の焼打ち事件、神戸では伊藤公の銅像を倒し、その首になわをかけてひきずり回す騒ぎもあ....
八犬伝談余」より 著者:内田魯庵
しめたのであろう。が、『八犬伝』の興趣は穂北の四犬士の邂逅、船虫の牛裂、五十子の焼打で最頂に達しているので、八犬具足で終わってるのは馬琴といえどもこれを知らざる....
獄中記」より 著者:大杉栄
君のお隣りの人って誰?」 僕は事のますます意外なのに驚いた。 「○○さんという焼打事件の人なんですがね。その人と山口さんが向い同士で、毎日お湯や運動で一緒にな....
俗法師考」より 著者:喜田貞吉
いる。かくてわが天台宗の盛んな頃には、叡山に三千坊あったと言われ、永保元年三井寺焼打ちの際には、災いに罹った僧坊の数だけでも四百二十一ヶ所の多きに及んだとも言わ....
法隆寺再建非再建論の回顧」より 著者:喜田貞吉
して引き上げんとする者が無いではない。早く小野玄妙博士がこれを皇極天皇二年斑鳩宮焼打ちの際の事となし、近く会津八一博士がこれを推古天皇十五年この寺創建直後の事と....
大捕物仙人壺」より 著者:国枝史郎
そうしてじっと眼を据えて、義哉の顔を見守った。 17 主君も主君将軍家の城を、焼打ちにしようというのであるから、これが普通の幕臣なら、カッと逆上るに違いない。....
甲州鎮撫隊」より 著者:国枝史郎
だからなア。これじゃア脱走武士が徴発に来ようと、薩長の奴等が江戸へ征込んで来て、焼打ちにかけようと安全だ。……と思っている植甚の鼻をあかせ、俺アこれ迄にちょいち....
正雪の遺書」より 著者:国枝史郎
て行きました。 こうして私は江戸を立って駿府へ参ったのでございます。駿府の町を焼打に掛け、駿府の城を乗っ取るというのが、表向きの私の意見でしたが、その実そこで....
前記天満焼」より 著者:国枝史郎
集まり、百人、百五十人、二百人となった。 「世の建て直しだ!」と誰か叫んだ。 「焼打ち! 焼打ち! 焼打ちにかけろ!」 ボーッと一所から火が上った。 「浮世を....
学生と先哲」より 著者:倉田百三
の沙汰もなかった。それのみか、これが機縁となって、翌月二十八日夜に松葉ヶ谷草庵が焼打ちされるという法難となって報いられた。 「国主の御用ひなき法師なれば、あやま....
安吾巷談」より 著者:坂口安吾
先月某新聞に競輪のことを書いたが、そのときはまだ競輪を見たことがなかった。二十万円ちかい大穴だの、八百長|紛擾、焼打、そうかと思うと女子競輪などゝ殺気の中に色気まであり、百聞は一見に如かずと食....
安吾巷談」より 著者:坂口安吾
買っているに相違ないから、レースが終るや、ナダレを打って事務所へ殺到、神宮水泳場焼打ち事件となる。 日米水上の観衆は、そんな不穏な精神はもっていない。コンディ....