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焼津
「焼津〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
焼津の前後の文節・文章を表示しています。該当する11件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「思い出の記」より 著者:小泉節子
緒に『夕焼け小焼け、明日、天気になーれ』と歌ったり、または歌わせたり致しました。
焼津などに参りますと海浜で、子供や乙吉などまで一緒になって『開いた開いた何の花開....
「古事記物語」より 著者:鈴木三重吉
ごとく切り殺して、火をつけて焼いておしまいになりました。 それ以来そのところを
焼津と呼びました。それから、命が草をお切りはらいになった御剣を草薙の剣と申しあげ....
「斬られたさに」より 著者:夢野久作
るうちに平馬は、若侍の事をサッパリと忘れていた。 駿府にはわざと泊らず、海近い
焼津から一気に大井川を越えて、茶摘歌と揚雲雀の山道を見付の宿まで来ると高い杉森の....
「安吾の新日本地理」より 著者:坂口安吾
す。私は現在伊東市という温泉都市に住んでいるが、ここは同時に伊豆では屈指の漁港、
焼津だの三崎についで相当の人口をもつ漁師街がある。私は去年は早朝に魚市場へ散歩に....
「顎十郎捕物帳」より 著者:久生十蘭
二年四月十七日、伊豆国賀茂郡松崎村《いずのくにかものこおりまつざきむら》の鰹船が
焼津《やいづ》の沖で初鰹を釣り、船梁《ふなばり》もたわむほどになって相模灘《さが....
「水の遍路」より 著者:佐藤垢石
はやと鮒を釣ったこともある。遠州掛川の奥へ入り込み、太田川へ旅したこともあった。
焼津の朝日奈川でも、鮎を釣った。 遠州の舞阪と、新居をつなぐ今切の東海道線鉄橋....
「釘抜藤吉捕物覚書」より 著者:林不忘
で、久住は侍――が、しかし、これも、怪しいさむらいだった。笹の関からすこし離れた
焼津《やいづ》の浜に、中川藩のお舟蔵があって、久住はそこのお荷方下見廻りという役....
「奥羽地方のシシ踊りと鹿供養」より 著者:喜田貞吉
含せられて、猪牙の極めて少い事からでも想像せられ、記紀の記するところ、日本武尊の
焼津の野火の難における、市辺押磐皇子の来田綿の蚊屋野における、或いは允恭天皇の淡....
「火葬と大蔵」より 著者:喜田貞吉
で焼死された。無論屍体も焼けてしまった事であったであろう。日本武尊も危うく駿河の
焼津の野火で、屍体をまでも焼かれ給うべきところであった。また葛城|円の大臣は、黒....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
錦旗の光彩を、すこしも、疑いなどはしていなかった。 つたえ聞いて、近郷の比良、
焼津、そのほかの山家などから、お味方にと、山へ馳せのぼって来る郷士らも多かった。....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
ても、湖東や湖南に住む水上生活者の協力がなければできないことだった。古来、堅田や
焼津には、叡山勢力下の船持ちがたくさんに部落していて“堅田湖族”などと世によばれ....