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「熊本県〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

熊本県の前後の文節・文章を表示しています。該当する14件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
めでたき風景」より 著者:小出楢重
垢じみてすっきりしない処のマチスかぶれの絵という事である。丹波篠山生れの鴈治郎と熊本県人の羽左衛門もまた、もっさりした種類と見ていい。 もっさりしたヴラマンク....
鳴雪自叙伝」より 著者:内藤鳴雪
して読んだ事を今も覚えている。 これは翌年八年へかけての事であるが、この八年は熊本県で江藤党が騒動を起して、同県の県令たる岩村高俊氏は辛うじて身を免れた位であ....
亡び行く江戸趣味」より 著者:淡島寒月
下左右するも中の火は常に安定の状態にあるように、巧に造られたものがあったが、現に熊本県下にはまだ残存している。また当時の質屋などでは必らず金網のボンボリを用いた....
次郎物語」より 著者:下村湖人
川大作。」 田川の返事は、しだいにぶっきらぼうになっていった。 名簿には、「熊本県、二十六歳、村農会書記、村青年団長、農学校卒」とあり、備考欄に、「歩兵|伍....
猿ヶ京」より 著者:佐藤垢石
して躾けたのである。そして天稟の麗質の持ち主であった。 縁があって、この美人は熊本県の千万長者の長男のところへ嫁いで行った。二十一歳であったという。 兄も、....
幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
校入学。卒業後、香川県下の工芸学校の校長となった。 松原源蔵君(象雲と号す)は熊本県人。今日は熊本市本妙寺清正公の地内に彫刻をやっているとの事です。 平櫛田....
漱石氏と私」より 著者:高浜虚子
て徳孤ならずの蜜柑哉 という句の如きはその一例であったように記憶する。右の手紙は熊本県飽託郡大仁村四百一番地とある。 次に受取った手紙は同じく三十一年の三月二....
迷信解」より 著者:井上円了
これを恐れて近づくものすらないほどである。まず、わが国にて古来最も名高き怪火は、熊本県下の天草の海上に現るる不知火である。その原因につきては、夜中蛍のごとき光を....
手仕事の日本」より 著者:柳宗悦
す。昔は「筑紫の島」と呼びました。今はこれを七県に分ち、福岡県、佐賀県、長崎県、熊本県、大分県、宮崎県、鹿児島県とします。昔はこの島を、東海道や南海道に対して、....
野草雑記・野鳥雑記」より 著者:柳田国男
せん。甲州の逸見では、蝸牛をもジットーバットーと呼んでいます。 最後に今一つ、熊本県の人吉附近で、菫をセセンブキブキというのも歌に依った名でした。その意味はは....
木綿以前の事」より 著者:柳田国男
応にこれを着ていたのだったということが、気をつけているとやや判ってくる。 先頃熊本県の九州製紙会社を見に行ったときに、私は紙の原料の供給地を尋ね試みたことがあ....
こども風土記」より 著者:柳田国男
えない。 それから西へ廻って長崎県の下五島にもネンガラ打ちの遊びがあり、さらに熊本県の天草下島でも旧十一月|丑の日の山の神祭の前に子どもが、手頃の木を伐って来....
日本の伝説」より 著者:柳田国男
賀県 西松浦郡大川村………………………………………………………………十三塚の栗林熊本県 飽託郡島崎村…………………………………………………………………石神の石 ....
年中行事覚書」より 著者:柳田国男
わるというが、その期日は七日の朝ではなくて、旧六月十五日になっている。 次には熊本県阿蘇神社の眠流祭。此方は明らかに昔から七月六日であるが、近頃の記録には音振....