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熱田
「熱田〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
熱田の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「東海道五十三次」より 著者:岡本かの子
で、妻は愛想を尽かしたのも無理はない。妻は子供を連れたまま実家へ引取った。実家は
熱田附近だがそう困る家でもないので、心配はしないようなものの、流石《さすが》にと....
「党生活者」より 著者:小林多喜二
以前からあった(あったが今迄何も運動していなかった)大衆党系の「僚友会」の清川、
熱田の連中とも往き来しているらしいことが分った。 おかしなことは、今迄何もして....
「海野十三敗戦日記」より 著者:海野十三
。その前夜また空襲があったのだそうだが、車内で夜を明かした私たちは知らなかった。
熱田の辺も、山側は大した被害なし。 ◯無事空襲の間をぬけて帰りつく。 ◯上海から....
「桶狭間合戦」より 著者:菊池寛
した三百余騎である。「両人とも早いぞ早いぞ」と声をかけて置いて、ひた走りに馳けて
熱田の宮前に着いた時は、その数千八百となって居た。
熱田の町口には加藤|図書助順盛....
「天主閣の音」より 著者:国枝史郎
したりといふ。更に侯の豪華なる、紅裏袷|帷子、虎の皮羽織、虎の皮の御頭巾を用ひ、
熱田参詣の際の如き、中納言、大納言よりも高位の御装束にて、弓矢御持ち遊ばされ、御....
「歌行灯」より 著者:泉鏡花
一 宮重大根のふとしく立てし宮柱は、ふろふきの
熱田の神のみそなわす、七里のわたし浪ゆたかにして、来往の渡船難なく桑名につきたる....
「呉秀三先生」より 著者:斎藤茂吉
、謹んで先生を祝福する。(この文章は大正十年二月長崎において稿を起し、十一月一日
熱田丸船上にて書おわったものである)....
「万葉秀歌」より 著者:斎藤茂吉
高市黒人 黒人作。※旅八首の一。「桜田」は、和名鈔の尾張国愛知郡|作良郷、現在
熱田の東南方に桜がある。その桜という海浜に近い土地の田の事である。或は桜田という....
「織田信長」より 著者:坂口安吾
からの使者は案内役の磯貝新右衛門久次と使者の立入とたった二人だけ、表向きの名目は
熱田神宮参拝というのである。 信長へ綸旨と女房奉書をだしては、と立入左京亮から....
「十二神貝十郎手柄話」より 著者:国枝史郎
見よう。 生駒家の浪人永井忠則(今は大須の講釈師)、最上家の浪人富田資高(今は
熱田の寺子屋の師匠)、丹羽家の旧家臣久松氏音(今は片端のにわか神官)、那須家の浪....
「安吾の新日本地理」より 著者:坂口安吾
べたところではとても見当がつかない。 富士山麓は三島の宿の三島明神は東海道では
熱田神宮につぐ大社であり、
熱田が皇神であるにくらべて、これは事代主(また古からの....
「安吾の新日本地理」より 著者:坂口安吾
ツモリだと嘆いています。そのときミコトに刀を与えたりして励ましているのは、伊勢と
熱田の斎宮の皇女ですが、さて双生児の一方はというと、書紀の伝えでは天皇が兄をよん....
「名古屋スケッチ」より 著者:小酒井不木
その柳に因んで名づけられた新柳町に、前記の諸寺院の大部分がある訳だが、旧本丸から
熱田まで縦走して居る本町筋との交叉点から、市の中心をなす大津町筋との交叉点までが....
「妖怪学」より 著者:井上円了
狐火、流星、不知火、蜃気楼、および京都下加茂社内へ移植する木はみな柊に変じ、尾州
熱田に移養する鶏はみな牡鶏に化すというがごときは、物理的妖怪なり。これに反して、....
「はなしの話」より 著者:岡本綺堂
午後である。 私はモンスーン以来痛みつづけていた右の奥歯のことを忘れたように、
熱田丸の甲板を愉快に歩いていた。船医の治療を受けて、きょうの午頃から歯の痛みも全....