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爰に
「爰に〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
爰にの前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「神州纐纈城」より 著者:国枝史郎
知らず、其先途は大河也、逆浪流を漲らし、渡らむとするに拠を失ふ。唯迷惑の外なし、
爰に火光、河の向に当つて、奇特を見るの間郎従四人|忽ち死亡す、而るに忠常彼の霊の....
「春昼」より 著者:泉鏡花
縁を離れさえなさらなかったら、海に溺れるようなことも起らなんだでございましょう。
爰に希代な事は―― 堂の裏山の方で、頻りに、その、笛太鼓、囃子が聞えたと申す事....
「駆逐されんとする文人」より 著者:内田魯庵
様が一朝にして下掃除人の地借或は店借となって了う。経済上の変革が齎らす位置転換も
爰に到って頗る甚だしい。尤も狡猾な都会人に欺かれて早くから地所を手放して了ったの....
「霊界通信 小桜姫物語」より 著者:浅野和三郎
じゃした、イヤに脚ばかり太い駄馬などは何処にも見かけないのでした。 『私の若月も
爰に居るのかしら……。』 そう思い乍ら、不図向うの野原を眺めますと、一|頭の白....
「霊訓」より 著者:浅野和三郎
ど認められていないのは、甚だ遺憾である。が、原本はなかなか大部のものであるから、
爰には単に要所|丈を紹介するに止める。若しも読者にして、ゆっくり味読さるるならば....
「「吶喊」原序」より 著者:井上紅梅
うと、凡て一人の主張は、賛成を得れば前進を促し、反対を得れば奮闘を促す、ところが
爰に生人の中に叫んで生人の反響なく、賛成もなければ反対もないと極ってみれば、身を....
「学生と先哲」より 著者:倉田百三
又漢土の天台山の来れるかと覚ゆ。此の四山四河の中に手の広さ程の平らかなる処あり。
爰に庵室を結んで天雨を脱れ、木の皮をはぎて四壁とし、自死の鹿の皮を衣とし、春は蕨....
「ねじくり博士」より 著者:幸田露伴
へ通う時分にネ、草の茂ッた広い野を一ツ越して行くのサ。毎日毎日通学するのだがネ。
爰に或朝偶然大真理を発見する種になる事に出逢ッたのサ。ちょうど或朝少し後れて家を....
「五右衛門と新左」より 著者:国枝史郎
まへば、是こそ都の西山、愛宕山と申処にて候、祇園会もいまだ始まらず候間、いま暫|
爰におはしまして、ご休息有べし、さりながら、何にても食事の望に候はんまゝ、是にし....
「不吉の音と学士会院の鐘」より 著者:岩村透
か不吉なことがあると、必らずこの音を聞いたと、この自伝の中に書いてあるが、これが
爰に所謂『不吉な音』の大略であるのだ。 それから他の一つの『学士会院の鐘』と題....
「淡島椿岳」より 著者:内田魯庵
したが、若い美くしい寡婦は賢にして能く婦道を守って淡島屋の暖簾を傷つけなかった。
爰に川越在の小ヶ谷村に内田という豪農があった。(今でもその家は歴とした豪農である....
「斎藤緑雨」より 著者:内田魯庵
は絶えてしまった。緑雨の手紙は大抵散逸したが、不思議にこの一本だけが残ってるから
爰に掲げて緑雨を偲ぶたねとしよう。 言文一致ニカギル、コウ思附イタ上ハ、基礎ヤ標....
「二葉亭四迷」より 著者:内田魯庵
れない」という。近代思想を十分理解しながら近代人になり切れない二葉亭の葛藤は必ず
爰にも在ったろう。 二葉亭に限らず、総て我々年輩のものは誰でも児供の時から吹込....
「二葉亭四迷の一生」より 著者:内田魯庵
頗る不十分であった。即ち煩冗を去り補修を施こし、かつ更に若干の遺漏を書足して再び
爰に収録するは二葉亭|四迷の如何なる人であるかを世に紹介するためであって、肖像画....
「奥州における御館藤原氏」より 著者:喜田貞吉
養記」には、 東は毛人の域に勧進して夷類等随分の奉加あり。是れ一の不思議なり。
爰に奥州の猛者藤原秀平真人、殊に慇懃の志を抽で、専ら知識の方便を廻らすなり。真人....