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牽強
「牽強〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
牽強の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「黒死館殺人事件」より 著者:小栗虫太郎
城は胸を灰だらけにして叫んだ。けれども、だいたいが真理などと云うものは、往々に、
牽強附会この上なしの滑稽劇にすぎない場合がある。しかも、きまっていつも、それは平....
「俳諧瑣談」より 著者:寺田寅彦
の類型であり、アメリカ映画のあるものは後者の仲間であると言ってもそうはなはだしい
牽強付会ではあるまいと思われる。 八 連句の映画化ということについて....
「俳句の精神」より 著者:寺田寅彦
心持ちを誘致するためには、短いほうが有効であるかと思われる。これはあるいは多少|
牽強付会の説と見られるかもしれないがしかしとにかく一応こういう説も立て得られると....
「現代唯物論講話」より 著者:戸坂潤
ス以来のヒューマニズムの床上に於ける一つの形態と見るものがあるなら、それは相当の
牽強付会となりはしないか。単に現在の日本の所謂「ヒューマニズム」と現代唯物論との....
「認識論とは何か」より 著者:戸坂潤
うか。詩人は優れた認識の所有者であるに相違なかろう。道徳的行為が認識だというのは
牽強付会だと云うかも知れぬ。だが認識は実行と離れて理解されないということも、今日....
「世界の一環としての日本」より 著者:戸坂潤
と、思いつきと、あて推量と、そして更に、こじつけとにさえ基くことが出来る。しかも
牽強付会される個々のタームは極めて実証的な引例や経験に基いているというわけだ。だ....
「技術的精神とは何か」より 著者:戸坂潤
は文献学主義(学術の名の下に文献訓詁の成果をすぐ様思想の典拠とする一切の博学又は
牽強付会の方法――アカデミック・フールに著しい)、第三は教学主義(文化を倫理主義....
「安吾巷談」より 著者:坂口安吾
も常識的で、健全でなければならないものだ。けれども、易者的、町医者的な、予期や、
牽強附会から絶縁するということは、なかなか人間の為しがたいところである。しかし、....
「空家の冒険」より 著者:ドイルアーサー・コナン
と云うものは、それぞれの家庭史の梗概なんだね」 「そうかね、しかしそれはあまりに
牽強附会ではないかね」 「はははははははそうか、いや、別に固執もしないがね。何し....
「八犬伝談余」より 著者:内田魯庵
した一事からして馬琴に勤王の志があったと推断するのは馬琴贔屓が箔をつけようための
牽強説である。ツイこの頃も或る雑誌で考証されていたが、こういう臆断は浪花節が好き....
「哲学の現代的意義」より 著者:戸坂潤
限らず文学乃至芸術も亦、認識なのだ。 こういう主張は可なり乱暴にも見えるし、又
牽強付会にも見えよう。あまり必至でないようにも見えよう。だが事態は、その用語の如....
「法隆寺再建非再建論の回顧」より 著者:喜田貞吉
日本紀の如きすらそう手軽に披見しえたものではなかったが為に、真の古伝が失われて、
牽強附会の説の行われたのに不思議はなかった。かの平安朝頃における人々がいかに過去....
「チベット旅行記」より 著者:河口慧海
他日また仏教が行われるようになるであろうと、いわゆる正因正果の道理を用い過ごして
牽強付会の説を考え出したのです。今いう通りカシミールの北部の菩薩国は今は回回教の....
「神代史の研究法」より 著者:津田左右吉
ないことが多く現われている。それを思わずしてあの古代史を一々事実と見ようとすれば
牽強附会に陥ることはいうまでもない。我が神代の巻はそれと同様に見るべきものではな....
「日本歴史の研究に於ける科学的態度」より 著者:津田左右吉
』の記載をすべて文字のままに事実として信ずるには限らず、それに何らかの恣な解釈や
牽強附会な説明やを加える場合もあるが、それにしてもこの根本の考に変りはない。そう....