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狭斜
「狭斜〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
狭斜の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「婦人と思想」より 著者:与謝野晶子
た思う事であり、また能くする所である。良人の機嫌を取るという事も、現在の程度では
狭斜の女の嬌態を学ぼうとして及ばざる位のものである。男子が教育ある婦人を目して心....
「明治大正美人追憶」より 著者:長谷川時雨
くわえた。で、高名な浮世絵師えがくところの美女も、みなその粉本《ふんぽん》はこの
狭斜《きょうしゃ》のちまたから得ている。美人としての小伝にとる材料も多くはこの階....
「鏡花氏の文章」より 著者:中島敦
蝠(湯女の魂)・蝦蟇・河童(飛剣幻なり)・蛭・猿(高野聖)等のかもし出す怪奇と、
狭斜の巷に意気と張りとで生きて行く女性(婦系図のお蔦等・通夜物語の丁山・その他)....
「紅白縮緬組」より 著者:国枝史郎
。 スラスラと書いたその一句は…… あかつきの 嘔吐は隣りか ほととぎす
狭斜の巷の情と景とを併わせ備えた名句として、其角の無数の秀句の中で嶄然頭角を現わ....
「わが寄席青春録」より 著者:正岡容
丁半の真似事までやったりした。 なにしろ家庭がつまらなくて、原稿料を取るとすぐ
狭斜街へ、大半以上を費い果たしては帰ってくる私だったのだから、お台所が持つわけが....
「上野」より 著者:永井荷風
テ園中桜樹躑躅最多ク、亦自ラ遊観行楽ノ一地タリ。祠前ノ通衢、八重垣町須賀町、是ヲ
狭斜ノ叢トナス。此地ノ
狭斜ハ天保以前嘗テ一タビ之ヲ開ク。未ダ幾クナラズシテ官新令....
「江戸芸術論」より 著者:永井荷風
会席《しゅんしょくさんじゅうろくかいせき》その他において、明治年間に残りし江戸|
狭斜《きょうしゃ》の風俗に接する事を喜ぶ。また役者絵の中《うち》西洋写真の像より....
「正宗谷崎両氏の批評に答う」より 著者:永井荷風
から紅葉山人《こうようさんじん》が出た。以上の諸名家に次《つ》いで大正時代の市井
狭斜の風俗を記録する操觚者《そうこしゃ》の末に、たまたまわたくしの名が加えられた....
「申訳」より 著者:永井荷風
ナサヾリキ。今ヤ日ニ従テ新陳代謝シ四方ヨリ風ヲ臨ンデ集リ来レルモノ多シ。曾テ都下
狭斜ノ巷ニ在テ左褄ヲ取リシモノ亦無シトセズト。予之ヲ聞イテ愕然タリ。其ノ故ハ何ゾ....
「死者の権利」より 著者:浜尾四郎
る成金の道楽息子です。彼はそもそも何者です。親の脛を噛っていながら学業をよそに、
狭斜《きょうしゃ》の巷《ちまた》を放歌してゆく蕩児です。 彼女が彼をひっかけた....
「濹東綺譚」より 著者:永井荷風
《いま》だ詳《つまびらか》にするを得ない。 寺島町五丁目から六七丁目にわたった
狭斜の地は、白髯橋《しらひげばし》の東方四五町のところに在る。即ち墨田堤の東北に....
「随筆 新平家」より 著者:吉川英治
と、上は法皇、親王、女院から下は家なき流浪者の中にまで、出家は行われた。その頃の
狭斜の街たる妓院(遊女、白拍子のおき屋)の主にさえ、禅尼と呼ばれる者がいた。義経....
「春の雁」より 著者:吉川英治
に、二十金も出すような物好きにはなれない。そういう物好きの多いのは、やはり天下の
狭斜の街のうちでも、この深川に越した所はないように思われる。 そんなわけで清吉....
「早稲田神楽坂」より 著者:加能作次郎
街らしいあの通りを、一歩その横町に足を踏み入れると、忽ちそこは純然たる下町気分の
狭斜のちまたであり、柳暗花明の歓楽境に変じているのであるが、その山の手式の気分と....
「日本橋附近」より 著者:田山花袋
のだった。もと蔵田屋といった料理屋の額を鴎外漁史が書いた話なども出て来た。ここの
狭斜は大通の雑踏と混雑とにまぎれて、ちょっとは目に立たないような形になっているけ....