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「猛攻〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

猛攻の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
軍用鮫」より 著者:海野十三
、一汗入れているうちに、五十人のキャメラマンによって海底から撮影されたただいまの猛攻撃のフィルムは、ただちに上にはこばれ、まず第一に現像工場内にベルトでおくられ....
海野十三敗戦日記」より 著者:海野十三
船は遂に沖縄本島の周辺から逃げだしたとある。リスボン経由の外電も六日、七日のわが猛攻を伝えているし、島上の敵軍も「ここは地獄を集めた地獄だ。あと二週間これが続け....
李陵」より 著者:中島敦
に係わるという主戦論が勝ちを制し、これより南四、五十里は山谷がつづくがその間力戦猛攻し、さて平地に出て一戦してもなお破りえないとなったそのときはじめて兵を北に還....
太平洋魔城」より 著者:海野十三
だが、むりもない。快速艇は、空中にうかんだ風船のように上下左右へおどる。恐竜の猛攻撃による艦船爆破のひびきが、水中をかきみだし、このさわぎをひきおこしたのだっ....
三国志」より 著者:吉川英治
外三十里まで迫ったが、さすがに北国随一の要害であった。犠牲をかえりみず、惨憺たる猛攻撃をつづけたが、この堅城鉄壁はゆるぎもしないのである。 「これは胡桃の殻を手....
三国志」より 著者:吉川英治
して、さんざんに張飛を悪罵したので、張飛は、 「その舌の根を忘れるな」と日没まで猛攻をつづけた。 しかし、頑として、城は墜ちない。無二無三、城壁へとりついて、....
三国志」より 著者:吉川英治
きた。思うに、関羽を討たれた恨みは、彼らの骨髄に徹しているだろう。どうしたらその猛攻を拒ぎ得るか」 彼の言は終っても、座中しばらく答える者がなかった。敵の決死....
三国志」より 著者:吉川英治
きびしく命令した。 魏の三軍は一せいに鼓を鳴らし鉦を励まし、八陣の吉門を選んで猛攻を開始した。けれど、孔明の一|扇一扇は不思議な変化を八門の陣に呼んで、攻めて....
私本太平記」より 著者:吉川英治
きつたわっていた。 「すわ。後ろが寒いぞ」 「冬など待てぬ」 ここでふたたび、猛攻撃は起されたが、笠置はいぜん、鉄壁だった。――山下の木戸や、せいぜいが仁王堂....
私本太平記」より 著者:吉川英治
をとげよう。落ちたい者は落ちるがいい。武時は身の本分へ進むばかり」 この決死と猛攻の中に煙った探題邸では、さきに所属の兵が大部分出てしまったので、ほとんど手薄....
私本太平記」より 著者:吉川英治
と、共に笑った。 そういう考え方は正成もしたことがある。 一例だが、寄手の猛攻が昼夜もなかった一ト頃には、よく藁人形を用いて、敵の矢を稼ぎ取ッたものだった....
私本太平記」より 著者:吉川英治
友軍の千種、足利にもおくれを取るなとの武者|気質から、死傷のかずなど物ともしない猛攻をくり返し、敵に息つくひまも与えなかった。 しかし六波羅方でも、ここでは自....
私本太平記」より 著者:吉川英治
始末だった。 鎌倉は危殆にひんした。あたかもこれ、かつて北条高時が、新田義貞の猛攻撃の中におかれたあの日を逆にしたようなものである。 ついに、足利|直義は、....
黒田如水」より 著者:吉川英治
ものはあった。その難攻にあたって、寄手の一将|万見仙千代は討死をとげた。それほど猛攻して、幾たびか城壁にまで迫ったが、伊丹城はゆるぎもしなかった。 「これ以上、....
戦争史大観」より 著者:石原莞爾
作戦をなし遂げ得た。 あの極めて劣勢なフィンランドが長時日良く優秀装備のソ軍の猛攻を支えた事は今日でもいかに防禦力の大であるかを示している。今度の作戦でもフラ....