玄奘[語句情報] »
玄奘
「玄奘〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
玄奘の前後の文節・文章を表示しています。該当する13件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「十二支考」より 著者:南方熊楠
もん》と独覚が多少如来に似たところあるもその間全く懸隔しいるに喩《たと》えある。
玄奘《げんじょう》が訳した『大毘婆娑論』巻百三に菩薩菩提樹下に修道する所に魔王攻....
「般若心経講義」より 著者:高神覚昇
』のテキストは、今よりちょうど一千二百八十余年|以前、かの三蔵法師で有名な中国の
玄奘三蔵が翻訳されたもので、今日、現に『心経』の訳本として、だいたい七種類ほどあ....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
いていない(『賢愚因縁経』十二)。 『今昔物語』六に、天竺《てんじく》の戒日王、
玄奘三蔵に帰依して、種々の財を与うる中に一の鍋あり、入りたる物取るといえども尽き....
「悟浄出世」より 著者:中島敦
西へと横切る三人の僧があろう。西方|金蝉《きんせん》長老の転生《うまれかわり》、
玄奘法師《げんじょうほうし》と、その二人の弟子どもじゃ。唐《とう》の太宗皇帝《た....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
盛の趣を書せど猴の事を少しも記さず。それより二百余年|後《おく》れて渡天した唐の
玄奘《げんじょう》の『西域記』にはマツラを秣莵羅とし、その都の周《めぐ》り二十里....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
屓《ごひいき》御入来を願うと張り出した。熊楠いう、東洋にはずっと豪いのがあって、
玄奘三蔵の『大唐西域記』巻十二|烏※国《うせつこく》の条に、その都の西二百余里の....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
ょう。なあに、あなた、わたくしの心得違いは心得ちがいに相違ございませんけれども、
玄奘三蔵渡天《げんじょうさんぞうとてん》の苦しみに比ぶれば、これは日本国のうちの....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
ざいます。こんなに申しますと、弁信、お前は口ほどにもない意気地なしだな、さきほど
玄奘三蔵《げんじょうさんぞう》渡天の苦しみがどうの、なあに、同じ日本の国の信濃の....
「新西遊記」より 著者:久生十蘭
十年でも四十年でもかけてやる。死ぬまでにやれたらいいと思っている」といっている。
玄奘三蔵が印度からお経をとって帰ったことが頭にあるので、
玄奘でさえ十七年もかかる....
「東洋文化史における仏教の地位」より 著者:高楠順次郎
ものについて名を立てたのである。その三蔵をみな知っているのを三蔵法師と名づける。
玄奘三蔵とか、義浄三蔵とかいう人がそれであります。その一切経の初めは迦葉が、仏が....
「古寺巡礼」より 著者:和辻哲郎
いは玄弉に従って西域から来た人であるかも知れない。あるいは遣唐使に従って入唐し、
玄奘のもたらした新しい文化や新しい様式に魂を奪われた日本人であるかも知れない。い....
「『西遊記』の夢」より 著者:中谷宇吉郎
遠い昔とは感ぜられなかった。 太宗《たいそう》皇帝の水陸大会《だいせがき》に、
玄奘法師《げんじょうほうし》の錦襴《きんらん》の袈裟《けさ》が燦然《さんぜん》と....
「小説のタネ」より 著者:吉川英治
百年の昔、大唐の長安から、その頃の中央亜細亜を通って、十八年がかりで印度へ行った
玄奘三蔵法師の旅行記がそれなんです。その「大唐西域記」は三蔵自身の記録といわれて....