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玄武
「玄武〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
玄武の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「黒死館殺人事件」より 著者:小栗虫太郎
様式の矛盾が、恐らく法水の興味を惹いたことと思われた。しかし、それ以外の部分は、
玄武岩の切石積で、窓は高さ十尺もあろうという二段|鎧扉になっていた。玄関は礼拝堂....
「日清戦争異聞(原田重吉の夢)」より 著者:萩原朔太郎
らしく、彼は勇ましい返事をした。そして先頭に進んで行き、敵の守備兵が固めている、
玄武門に近づいて行った。彼の受けた命令は、その
玄武門に火薬を装置し、爆発の点火を....
「海の使者」より 著者:泉鏡花
った。この秋の空ながら、まだ降りそうではない。桜山の背後に、薄黒い雲は流れたが、
玄武寺の峰は浅葱色に晴れ渡って、石を伐り出した岩の膚が、中空に蒼白く、底に光を帯....
「静岡地震被害見学記」より 著者:寺田寅彦
、居合わせた土地のおじさんが「これは伊豆の六方石ですよ」と教えてくれた。なるほど
玄武岩の天然の六方柱をつかったものである。天然の作ったものの強い一例かもしれない....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
れしものなるべしと。またいわく都城必ず四神を祀り以て四方を鎮す、子はすなわち北方
玄武神、世俗これを子聖《ねひじり》あるいは鼠のほこらというと、これは拠って按ずる....
「北支点描」より 著者:豊島与志雄
に趣きは異る。絶勝とされる杭州の西湖は、煙雨の日に画舫を浮べるべきである。南京の
玄武湖は、ボートに乗って城壁を眺めるによく、北京郊外万寿山の昆明湖は、モータボー....
「上海の渋面」より 著者:豊島与志雄
ぶけちな画舫ぐらいなものは上海にもあってよかろうと、甚だ謙遜な要求をもなすまい。
玄武湖から見る南京城壁の美観はともかく、多少の城壁ぐらいは上海にもあってよかろう....
「環礁」より 著者:中島敦
っそう》たる熱帯樹に蔽《おお》われ苔《こけ》に埋もれてはいるが、素晴らしく大きな
玄武岩の構築物だ。 入口をはいってからがなかなか広い。苔で滑りやすい石畳路が紆....
「淡紫裳」より 著者:佐藤垢石
眺める雄大な景観に接して、はじめて遠い国に旅してきたという思いを催したのである。
玄武門も見た。大きな門ではなかったが、昔子供時代に原田重吉がこの門を乗り越える木....
「余齢初旅」より 著者:上村松園
。 扇屋へ買物にはいったら乞食が二人ほどついて入って来た。乞食もなかなか多い。
玄武湖に行くと、ここには柳が沢山ある。画舫があり、夏は蓮が咲いて美事であるという....
「ピストルの使い方」より 著者:泉鏡花
東京――(壱)――芸学校の教授にして、(弐)――術院の委員、審査員、として、
玄武青竜はいざ知らず、斯界の虎! はたその老齢の故に、白虎と称えらるる偉匠である....
「明治劇談 ランプの下にて」より 著者:岡本綺堂
舞伎座の「海陸連勝日章旗」は桜痴居士の作、これは大鳥公使の談判から原田重吉の平壌
玄武門先登を脚色したもので、団十郎は大鳥公使と御用船の水夫と原田重吉の父との三役....
「皇海山紀行」より 著者:木暮理太郎
めた。割合に歩きよい沢だ、十分も進むと河床は、縦横に裂目が入って柱状を呈している
玄武岩らしき一枚岩となって、その上を水が瀉下するさまがやや奇観であった。十時五十....
「明治演劇年表」より 著者:岡本綺堂
。 ○十一月、歌舞伎座にて日清戦争劇「海陸連勝日章旗」を上演。菊五郎の原田重吉が
玄武門破り、不評。 ○一月、新富座の中幕「鎌倉三代記」にて、菊五郎の三浦之助、好....
「四谷、赤坂」より 著者:宮島資夫
ない、当時の絵双紙屋は、今日のそれの地位に相当したようなものがあった。原田重吉の
玄武門でも、松崎大尉の戦死でも、石版刷の絵によって我々は感興を新たに深くされたの....