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玄海
「玄海〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
玄海の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「奇怪な再会」より 著者:芥川竜之介
云われると恐れ入るが、とにかくあの時は弱ったよ。おまけにまた乗った船が、ちょうど
玄海《げんかい》へかかったとなると、恐ろしいしけを食《くら》ってね。――ねえ、お....
「陣中日誌(遺稿)」より 著者:山中貞雄
陸丸に投ず。而るに今朝来、濃霧四辺を閉ざしシセキを弁じ難き趣きありしが、正午前、
玄海洋上に望みし時忽ち右舷に当り大艦影を認む。 偵察すればロシヤ、グロンボイ、....
「綺堂むかし語り」より 著者:岡本綺堂
押し流して行きそうな山霧の波に向き合って立ちました。 わたしは日露戦役の当時、
玄海灘でおそろしい濃霧に逢ったことを思い出しました。海の霧は山よりも深く、甲板の....
「玄海灘密航」より 著者:金史良
荒潮の渦巻く
玄海灘を中心にして、南朝鮮、済州、対馬、北九州等の間には、昔から伝説にもあるよう....
「近世快人伝」より 著者:夢野久作
津、名護屋、怡土城、太宰府、水城、宇美、筥崎、多々羅、宗像、葦屋、志賀島、残島、
玄海島、日本海海戦の沖の島なんて見ろ、屈辱外交の旧跡なんて薬にしたくもないから豪....
「大切な雰囲気」より 著者:小出楢重
と云う奴が同時に声をそろえて鳴き出したのには驚いた。同室の人達が大喜びであった。
玄海灘は大変静かだ、今朝から
玄海灘を船は走っている。然しカナリの大うねりはある。....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
どこまで漕ぎつけるつもりなのですか。下関といえば内海の果てでございます、それから
玄海灘《げんかいなだ》へ出ますと、もう波濤山の如き大海原《おおうなばら》なんでご....
「明治開化 安吾捕物」より 著者:坂口安吾
す。加納さんは半信半疑で、中園はたしかに用務を帯びてシナへ行く途中ではあったが、
玄海灘で船が沈んで、助かったとは思われないが、フシギなことだと話しておられたそう....
「妾の半生涯」より 著者:福田英子
なるべし。消毒終りて、衣類も己れの物と着換え、それより長崎行の船に乗りて名に高き
玄海灘《げんかいなだ》の波を破り、無事長崎に着きたるは十一月の下旬なり。 十 ....
「郷介法師」より 著者:国枝史郎
がら月山などは、私の眼から見ますると、弱気の病馬に過ぎません」 「ほほう左様か。
玄海はどうだ?」 「やはり弱気に過ぎまする」 「其方随意に選ぶがよい」 「殿のご....
「鯛釣り素人咄」より 著者:佐藤垢石
朝鮮の東海岸でも漁獲がある。支那海にも広く棲んでいて、朝鮮西海岸、釜山沖、九州の
玄海灘、中支から南支、海南島から佛領印度支那方面にまで分布していて、支那海一帯は....
「夢の如く出現した彼」より 著者:青柳喜兵衛
い下さい。勿論その時分乗りものが有ろう筈もない。 然るに湧き返る青年達の血潮は
玄海灘から吹きつける肌寒い夜風位いには驚きません。歌論は歌論へ、秋月は歌心へ、帰....
「欧米各国 政教日記」より 著者:井上円了
わが国を富ますの法は、政教子の唱うるところの富国策を用うるよりほかなし。 船、
玄海を渡りて馬関に近づくに及び、その雲容山影の尋常に異なるを見、ようやく近づきて....
「ゲテ魚好き」より 著者:火野葦平
でとれるためではない。下関が集散地になっているだけで、河豚は瀬戸内海はもちろん、
玄海灘でも、どこの海でもとれる。東京近海にもたくさんいる。ただ、周防灘の姫島付近....
「明石鯛に優る朝鮮の鯛」より 著者:北大路魯山人
たいについて、京都、大阪で、子ども時分から聞きこんでいることは、
玄海灘を越してきたたいでなくては美味くないということだ。
玄海灘を通過してきたたい....