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「率いる〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

率いるの前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
さまよえる猶太人」より 著者:芥川竜之介
アンタアルを見ると、「さまよえる猶太人」は、十六世紀の初期に当って、ファディラの率いるアラビアの騎兵が、エルヴァンの市《まち》を陥れた時に、その陣中に現れて、A....
間諜座事件」より 著者:海野十三
唯機の至るのが待ちあぐまれるばかりだった。「弥次喜多」が始まって、第一景。一座を率いる丸木花作と鴨川布助とが散々観客を笑わせて置いて、定紋うった幕の内へ入った。....
三人の双生児」より 著者:海野十三
十枚となく乾し並べていたので、妾はそれに声をかけた。そしてこれが紛れもなく銀平の率いる曲馬団に相違ないことを知ったが、丁度幸いにもいま座長の銀平老人は、古幟で綴....
桶狭間合戦」より 著者:菊池寛
暑い十八日の夜が明けて、十九日の早朝、元康の部将松平|光則、同|正親、同政忠等が率いる兵が先ず丸根の砦に迫った。かねて覚悟の佐久間盛重以下の守兵は、猛烈に防ぎ戦....
田原坂合戦」より 著者:菊池寛
が云ったのに対して、吉松少佐は笑ってその必要の無いことを答えたが、間もなく吉松の率いる兵の突撃する声が聞えた。吉松少佐はついに重傷を負って斃れた。 この応酬な....
四条畷の戦」より 著者:菊池寛
吉野は、官軍の二大作戦根拠地であった。時の京畿官軍の中心は言うまでもなく、正行の率いる楠党であった。 八月十日、正行は和泉の和田氏等の軍を以て紀伊に入り、隅田....
二、〇〇〇年戦争」より 著者:海野十三
より飛来したものと推定されるも、なぜ空中に海があるのか、わしにも分らない、中隊を率いるカモシカ中尉にも、おそらく分っちゃいないだろう……” カモシカ中尉は、お....
東京要塞」より 著者:海野十三
が、ぱっと五|燭の電灯をつけた。その人は妙な形の頭巾をもっていて、それを五郎造の率いる一行の一人一人の頭の上からすぽりと被せた。 帆村もとうとうこの頭巾を被せ....
霊訓」より 著者:浅野和三郎
、その存在を許す周囲の人達も人達である。日本民族が精神文化の先頭に立ちて、世界を率いる資格の備わるのは、そも何れの日であろう! 第五章 幽明交通と環....
家なき子」より 著者:楠山正雄
ス親方が言った。「しかもこの同じ宿屋だったかもしれないが、のちに何万という軍勢を率いる大将がここで生まれたのだ。初めはうまやのこぞうから身を起こして、公爵がなり....
加利福尼亜の宝島」より 著者:国枝史郎
チブロン島へ襲撃し土人と一戦することにした。 九 ホーキン氏の率いる遠征隊が、チブロン島へ上陸するや否や、土人の斥候が早くも見附け、ピューッと....
瓜の涙」より 著者:泉鏡花
、その濡れるほどの汗に、裾も振もよれよれになりながら、妙に一列に列を造った体は、率いるものがあって、一からげに、縄尻でも取っていそうで、浅間しいまであわれに見え....
飛騨の怪談」より 著者:岡本綺堂
。」と、塚田巡査も失望の嘆息を洩した。 が、兎に角に其儘では済まされぬ。巡査の率いる一隊は、森に沿うて山路を北に登る事となった。市郎の一隊は現場を中心として、....
中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
直覚したのは、彼が身を以て詩客であったからのことである。そして、俊成の声が時代を率いることのできたのは、宮廷の貴紳の心が挙げて俊成の「詩」に類した詩を培いつつあ....
食器は料理のきもの」より 著者:北大路魯山人
こういう次第で、よい食器の出現を計らおうと思えば、料理業者や料理人が製陶業者を率いるのでなければならない。結局、食器を使う業者の無関心ということが、今日、料理....