»
玖
「玖〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
玖の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「魔法修行者」より 著者:幸田露伴
歳の長寿を得て、めでたく終ったのである。それは名高い関白|兼実の後の九条|植通、
玖山公といわれた人である。 植通公の若い時は天下乱麻の如くであった。知行も絶え....
「古事記物語」より 著者:鈴木三重吉
たはこれから軍勢をひきつれて、すぐに討ちとりに行ってくれ」とおっしゃって、彦国夫
玖命という方を添えて、いっしょにお遣しになりました。 二人は、神々のお祭りをし....
「渋江抽斎」より 著者:森鴎外
は以下恒例になっているから必ずしも書かない。同月二十六日に長女|純が幕臣|馬場玄
玖に嫁した。時に年十六である。 抽斎の岡西氏徳を娶ったのは、その兄玄亭が相貌も....
「新女性のルポルタージュより」より 著者:宮本百合子
思いますが、これも感想であってルポルタージュではないのが残念です。「憂鬱の弁」(
玖島ひさ子)勤めている若い女が官僚風な空気の中でくしゃくしゃする気分はかかれてい....
「東山時代における一縉紳の生活」より 著者:原勝郎
、宗祇はその幕府との関係において、実隆の推挙によったのではないらしいが、『新撰菟
玖波集波集」]』の修撰のことから延《ひ》いて、宗祇と宮廷との関係を生じたのは、こ....
「獄中への手紙」より 著者:宮本百合子
りんり》というはりきりかたでお書きです。前の河村の親類の高森の熊野写真館の心配で
玖珂《くが》の迫口家の三女二十一歳とも子という人だそうです、体格良、女学校は優等....
「獄中への手紙」より 著者:宮本百合子
もの。お母さんが来て世話していられるそうです。お母さんが、あなたのお手紙を見て(
玖珂の、よ)大変よろこんでいられましたそうです。お母さん一荷をおろしたとおっしゃ....
「安吾巷談」より 著者:坂口安吾
かかったら、糸川筋の林屋旅館へ見舞いに行く伊東の親類だというんだよ。林屋は伊東の
玖須美の出身だからね」 と、女房に忍術の一手を伝授しておく。 電車は伊東から....
「雪の宿り」より 著者:神西清
せて頂いたものでございます。ゆくゆくは奏覧にも供え、また二条摂政さま(良基)の莵
玖波集の後を承けて勅撰の御沙汰も拝したいものと私かに思定めておいでの模様で、いた....
「国栖の名義」より 著者:喜田貞吉
吉田博士の説は承認したい。実地についてみても、栗栖、小栗栖、栗瀬などという地は、
玖珠(豊後郡名)、久豆(伊勢地名)などと同じく、いかにもかつて先住民の残存しそう....
「南半球五万哩」より 著者:井上円了
るものにして、わが長崎港に類似す。背後の高山は大岩石、中空にかかり、一見わが豊後
玖珠郡内の岩扇山に似たり。人家は二階造りにして、煉瓦壁多きも、屋根はトタンぶきを....
「中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
奉行となった。その後連歌集の編纂を発心し、常縁の世を去った翌明応四年に『新撰|菟
玖波集』を撰んで勅撰に准ぜられた。明応八年にはまた上杉氏に招かれて越後に行き滞留....
「こども風土記」より 著者:柳田国男
例が出てきたのである。九州でも中央の山地にはまだ鉤のあるネンがあるらしい。豊後の
玖珠地方のものは久留島武彦氏が図示してくれられた。ただしここのは関東とちがって、....
「日本の伝説」より 著者:柳田国男
書物にも、そんな話が書いてあります。たぶん今の別府の温泉の近くでありましょうが、
玖倍利湯の井という温泉は、いつも黒い泥が一ぱいになって湯は流れないが、人がこっそ....
「母の手毬歌」より 著者:柳田国男
などは千駄木、西のほうでは長崎県の下五島久賀島、佐賀県では厳木の山村、大分県でも
玖珠郡の村々などにこの雨乞いがあり、それをセンダキというのもあるが、これらは千駄....