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「瑞雲〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

瑞雲の前後の文節・文章を表示しています。該当する13件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
獄中への手紙」より 著者:宮本百合子
時に、その魅力の故に、岸田さんなんかに引っぱり出されて、いくらか理性のくらい詩を瑞雲たなびく式に書いたりするところが、あぶないあぶないよ。こういう人の立派さに埒....
魔都」より 著者:久生十蘭
の事 並に博士の怪弁の事 新玉の年たちかえる初春の朝、大内山の翠松に瑞雲棚引き、聖寿万歳を寿《ことほ》いで鶴も舞い出でよう和やかな日和。 輪飾をつ....
顎十郎捕物帳」より 著者:久生十蘭
馳走にあずかることにしよう」 馬鹿な顔で、陽ざしを見あげているとき、すぐそばの瑞雲寺《ずいうんじ》の刻《とき》の鐘、ゴーン。 「いま鳴る鐘は七ツ半。……定刻に....
回想録」より 著者:高村光太郎
事は出来なかった。それで仲御徒町の時の貧乏は実にひどいものだった。山本国吉(後の瑞雲さん)が一所懸命父の代作をして、それを三幸商会に持って行き、其の日の薬代など....
平賀源内捕物帳」より 著者:久生十蘭
空しく日が経って十六日。 よもやと思っていた係与力《かかりよりき》の耳へ、谷中瑞雲寺《やなかずいうんじ》の閻魔堂《えんまどう》のそばで、つい、たった今、また娘....
幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
がったのが四月……桜の花の散る頃でありました(手伝わせた弟子には林美雲氏も山本|瑞雲氏もおりました。美雲氏は既に故人となったが、後に美術学校の助教授をもしたこと....
幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
おりますので、私は家に帰り、弟子の萩原国吉を使いにやりました(この国吉は今の山本瑞雲氏の旧名。当時の青年も今は五十以上の老人となっている)。国吉は早速中風呂敷を....
盗難」より 著者:佐藤垢石
ゑ子が手離しで歩きだしたと言って笑い、転んだと言っては騒ぎ、家のなかはいつも薫風瑞雲が漂った。 みゑ子は、風邪一つひかないですくすくと育った。月日は夢の間に流....
幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
初めの頃で、国吉は十四歳の時に私の宅へ参って弟子となりました。この子供が後の山本瑞雲氏であります。 国吉の父の由兵衛という人は、土地では名の売れた人で、熱海の....
痀女抄録」より 著者:矢田津世子
に今日みるような小断欠になってしまっていた。繍帳原形は中央に浄土変相をあらわし、瑞雲、霊鳥、霊樹、雲形、花鳥、人物、鬼形、仏像などを、周りに大銭のような亀甲が一....
宝永噴火」より 著者:岡本かの子
暮れ、翌年改元して宝永元年の春になった。慧鶴が清水の土地を思い切り、美濃の檜木の瑞雲寺へ入って馬翁という詩僧に従ったのは、勿論、娘と得体の判らぬ心理の関係にある....
三国志」より 著者:吉川英治
もなかった。 楽器の音は、山岳を驚かせた。空をゆく鴻は地に降り、谷々の岩燕は、瑞雲のように、天に舞った。 まず何よりも、二夫人との対面の儀が行われた。関羽は....
随筆 宮本武蔵」より 著者:吉川英治
固首坐について学文を修め、十三歳初めて詩を作り、詩才衆を愕かす。 同年、東光寺の瑞雲に参じ、十九の春諸方の名師の門をたたく。 慶長十年、播州姫路の三友寺に掛錫し....