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生蕃
「生蕃〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
生蕃の前後の文節・文章を表示しています。該当する14件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「街頭から見た新東京の裏面」より 著者:杉山萠円
見えないのが多い。 先ず暗い色のセメント壁に、白いペンキ塗りの窓がある。そこへ
生蕃人の腰巻見たようなカアテンがブラ下って、その蔭に十五銭位の草花の鉢が置いてあ....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
町の空をながめながら、家を思い、妻を思い、子を思った。その時になると、外には台湾
生蕃征討の事が起こり、内には西南地方の結社組織のうわさなぞがしきりに伝わって来て....
「ああ玉杯に花うけて」より 著者:佐藤紅緑
日に照らされてとろとろと眠くなった。でかれは木の根に腰をおろして眠った。 「やあ
生蕃が眠ってらあ」 学生どもはこういいあった。
生蕃とは巌のあだ名である、かれは....
「津田青楓君の画と南画の芸術的価値」より 著者:寺田寅彦
いかもしれない。例えば山出しの批評も時には三越意匠部の人の参考になるかもしれず、
生蕃人の東京観も取りようでは深刻な文明批評とも聞える事があるかもしれない。 こ....
「安吾人生案内」より 著者:坂口安吾
あげく殺人という事柄の正邪をさとらず、むしろ自分の行為を英雄的に自負しているほど
生蕃的で文明人の隣人らしいところがないが、少年の憎む悪は素朴で直接的で、彼の愛し....
「ドモ又の死」より 著者:有島武郎
から暗示を得て書いたものだ) 人物 花田 ┐ 沢本 (諢名、
生蕃) │ 戸部 (諢名、ドモ又) ├若き画家 瀬古 (諢名、若様) │ 青....
「飢餓地帯を歩く」より 著者:下村千秋
は、脛だけをくるんだ赤い布の股引をはいているきりであった。 私は、ふと、台湾の
生蕃人を想い出した。
生蕃人もその脛に赤い布の脚絆をはいていたからである。こればか....
「武士を夷ということの考」より 著者:喜田貞吉
夷俘・俘囚の考」中にも詳論したるがごとく、わが古史に蝦夷とあるものは、普通にその
生蕃のみを指し、彼らの熟化したるものは、虜または俘囚としてこれと区別せるなり。『....
「国号の由来」より 著者:喜田貞吉
を食として、五穀の農耕を知らず、九訳を重ぬと雖も、語話を通じ難し」とあって、全然
生蕃階程にいたアイヌを呼んだ名であった。北海道は西より開けて、前記地図に見ゆる東....
「人身御供と人柱」より 著者:喜田貞吉
のである。これを理解しやすき様に今日の実際に引き当てて見るならば、なおかの台湾の
生蕃が、折々所謂「出草」をなして田園を荒らしたり、或いは首刈をしたりする様なもの....
「南半球五万哩」より 著者:井上円了
にシャンパンを傾け、万歳を呼びて帰る。その絶壁を上下する石径の険悪なること、台湾
生蕃界の山路を想出するに足る。その岬頭の最高点は海抜一千十七尺あり、山上には岩石....
「大利根の大物釣」より 著者:石井研堂
鈎を投ずるを惜むこと金の如く、投ずれば、必ず好結果を期待して誤らず。恰も、台湾|
生蕃の、銃丸を惜むこと生命の如く、一丸空しく発せず、発せば必ず一人を殪すに似たり....
「春雪の出羽路の三日」より 著者:喜田貞吉
熟蝦夷がいたほどであった。しかるにこの山間の仙北地方は、なお久しく麁蝦夷すなわち
生蕃の住処として遺され、奥州の国府多賀城から、出羽の秋田城に通ずるにも、最上川に....
「特殊部落の成立沿革を略叙してその解放に及ぶ」より 著者:喜田貞吉
慣を存しておりましたから、いつしか変った者の様に思われて参ります。近い例が台湾の
生蕃と熟蕃とで、里人なる熟蕃は支那人の風をなし、いつかは同化してその跡を没すべき....