田子[語句情報] » 田子

「田子〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

田子の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
風の便り」より 著者:太宰治
な、いい子という事になって、せっせとお手本の四君子やら、ほてい様やら、朝日に鶴、田子の浦の富士などを勉強いたし、まだまだ私は駄目ですと殊勝らしく言って溜息をつい....
本州横断 癇癪徒歩旅行」より 著者:押川春浪
るとの事だ。 例の剛力先生なかなかやって来ない。鳥居の下で待つこと約三十分、杉田子、衣水子、木川子など付添で漸くやって来た。聴けばある坂道で、剛力先生|凹垂《....
三四郎」より 著者:夏目漱石
眼の士は大学から生まれない」とか「博士を学界の名産と心得るのは、海月《くらげ》を田子《たご》の浦《うら》の名産と考えるようなものだ」とかいろいろおもしろい句がた....
海に生くる人々」より 著者:葉山嘉樹
しっかり締めすぎる鎖を、少しゆるくするように、要求する相談の最中であった。 三田子爵《みたししゃく》は、この汽船会社と、その炭坑との社長だった。彼はその時、何....
婦系図」より 著者:泉鏡花
五十人ばかりの人数で、両親がついて、かねてこれがために、清水|港に、三保に近く、田子の浦、久能山、江尻はもとより、興津、清見寺などへ、ぶらりと散歩が出来ようとい....
斜陽」より 著者:太宰治
座敷にひろげて御持参のウイスキイをお飲みになり、この山荘の以前の持主でいらした河田子爵と支那で遊んだ頃の失敗談など語って、大陽気であったが、お母さまは、お弁当に....
丹下左膳」より 著者:林不忘
道で、沼津の町へはいりますと、 「どうだい、右に見えるのが三国一の富士の山、左は田子の浦だ。絶景だなア!」 お壺の駕龍が千本松原へ通りかかると、お壺休み。つき....
梅津只円翁伝」より 著者:杉山萠円
、御|垢付の御召物を頂戴したという。 因に翁のこの時の帰郷の際には、藤堂伯、前田子、林皇后太夫、その他数氏の懇篤なる引留め運動があったらしいが、翁は国許の門弟....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
いている。前は清水港、檣柱《ほばしら》の先から興津《おきつ》、蒲原《かんばら》、田子《たご》の浦々《うらうら》。その正面には富士山が雪の衣をかぶって立っています....
明治大正美人追憶」より 著者:長谷川時雨
の急進党が長夜の宴を張って、男女交際に没頭したおりであった。洋行がえりの式部官戸田子爵夫人極子が、きわめて豊麗な美女で、故伊藤公が魅惑を感じて物議をひきおこした....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
「御酒二升、目《め》ざし鰯《いわし》十連、浅畑村|若衆《わかいしゅ》より馬持ちの田子衛門へ下さる」 手拍子パチパチ。 「そば粉三袋、牛蒡《ごぼう》十|把《ぱ》....
万葉秀歌」より 著者:斎藤茂吉
ろ浄勁とでもいうべきものを成就している。古義で、「真白くぞ」と訓み、新古今で、「田子の浦に打出て見れば白妙の富士の高根に雪は降りつつ」として載せたのは、種々比較....
樹を愛する心」より 著者:豊島与志雄
本郷千駄木町の一部に、太田の池という幽邃な大池があった。太田道灌の血を伝えてる太田子爵の所有地なので、俗に太田の池と呼ばれたのである。二方は高い崖で、古木が欝蒼....
魔性の女」より 著者:大倉燁子
と二三枚はぐり、最後のページに眼を落すとはっとした。 「九月十日 土曜日 近頃奥田子爵の家ではもぐりで旅館を開業したそうだ。今日の逢引きには持ってこいの家だから....
梟の眼」より 著者:大倉燁子
した」 陽子は杉村が帰った後も、三キャラットのダイヤが眼の前を離れなかった。梅田子爵夫人ともあろうものが、あれ位のダイヤ一つ持っていないとは情けない、何とかし....