甲府城[語句情報] »
甲府城
「甲府城〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
甲府城の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「神州纐纈城」より 著者:国枝史郎
ういう有様に流行したかは、知る人きわめて少いだろう。 花嫁の行列が通っていた。
甲府城下の夜であった。提灯の火が輝いた。沢山の人達が花嫁を囲み、さざめきながら歩....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
帰ってそれを拡げて、つくづくとながめていました。 お松のながめている絵図には、
甲府城を真中にして、その廓《くるわ》の内外の武家屋敷や陣屋、役宅などが細かに引い....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
ようではござるが、言わんとして言わでやむは武士の本意でない、その上に、このことは
甲府城を預かる我々一統の面目にもかかることと存ずる故、この席で両支配並びに列座の....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
と言って、再び清吉の手から遠眼鏡を受取った巌の人は、駒井甚三郎でありました。前に
甲府城の勤番支配であった駒井能登守、後にバッテーラで石川島から乗り出した駒井甚三....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
のがんりきという男でもあろうか。 兵馬は実に不審に堪えませんでした。だいそれた
甲府城内の御金蔵破り、いま眼《ま》のあたり見れば、それはドチラも自分の知った人、....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
として、その型に遊ぶの人となりました。 こんなことは滅多にないのです。かつて、
甲府城下の闇の破牢の晩に、この盛んなる型を見せたことがありましたが、あの時は如法....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
を見上げていたが、どこかへ行ってしまいました。 八 年が明けて、松が取れると、
甲府城の内外が遽《にわ》かに色めき立ちました。 平常《ふだん》、何をしているの....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
がそれと聞いて何とも言わずに苦笑いして、寝込んでしまったのもその時分のことです。
甲府城内の暗闘とか勢力争いとかいうことは、それで一段落になりました。 別家にい....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
しのために、ひそかに城を抜け出でて辻斬を試みるのだろう、さもなければ広くもあらぬ
甲府城下のことだから、おおよその見当がつかねばならぬはず……というわけで、駒井の....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
保って、何か関東において事を起そうとしている野心のほども、よく見抜いていました。
甲府城乗取りの陰謀は、これがために一頓挫して、南条らは一時、気を抜くために江戸へ....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
絶えません。 今日も数十人の者が一席に集まって、群議横生のところ。 いよいよ
甲府城を乗っ取るの時機が熟したという者がある。 さて、甲府を定めて後は、天険《....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
れて、土地の人気にでも触れようものなら、相当に冒険が無いとは言えない身の上だが、
甲府城下では、あんなことになったのは是非もないが、その他のところでは、まずどこへ....
「近藤勇と科学」より 著者:直木三十五
千人同心が、少くとも二小隊は集る。菜葉《なっぱ》服が二大隊、これも御味方しよう。
甲府城には、加藤|駿河《するが》の手で、三千人、それに、旗本を加えて、五千人は立....
「甲州鎮撫隊」より 著者:国枝史郎
兵三千、大砲二十門を引いて、東山道軍と称し、木曾路から諏訪へ這入り、甲府を襲い、
甲府城代佐藤駿河守殿を征め、
甲府城を乗取ろうとしているのじゃ。そこで我々新選組が....
「大捕物仙人壺」より 著者:国枝史郎
で、この壺はそれ以来、甲府勤番御支配頭の、保管に嘱していたものだそうな。そうして
甲府城の土蔵の奥に大切に仕舞って置かれたんだそうな。……そいつを「爺つあん」が盗....