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疎外
「疎外〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
疎外の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「俊寛」より 著者:菊池寛
。そして、お互いに心持を荒ませる。 この頃、俊寛はよく、二人が意識して、自分を
疎外しているのを感ずる。硫黄を採りに行く時でも、海藻を採りに行くときでも、よく二....
「母子叙情」より 著者:岡本かの子
と云った。かの女はむす子が一緒だったらどんなに楽しかろうと思って見るのだが、客を
疎外するように取られる懸念から口に出しては云わなかった。 展覧会場の交渉、刊行....
「端午節」より 著者:井上紅梅
た時、彼は内心大人げないことだ、騒々しいことだと思ったが、官僚が度を越えて教員を
疎外したという話を聴き及んでいささか感ずるところあり、その後一転して自分もちょう....
「夢は呼び交す」より 著者:蒲原有明
ったということである。翁の歌は『新古今』の伝統を守って、『万葉』を遠ざけ、桂園を
疎外していた。翁は万葉張りを揶揄していた。鶴見が『万葉』を好んでいたのを感づいて....
「明治哲学界の回顧」より 著者:井上哲次郎
大いに哲学上考慮すべきものがある。またわが国の伝統的精神すなわちかんながらの道を
疎外すべきではなかろうと思う。ところが東洋の哲学を咀嚼《そしゃく》しないで単に西....
「憑き物系統に関する民族的研究」より 著者:喜田貞吉
登録せられ、つとに公民権を獲得したが為に自らその系統に誇って、同じ仲間の非公民を
疎外するに至ったに外ならんのである。一方公民権獲得の機を逸して、比較的後の世まで....
「エタに対する圧迫の沿革」より 著者:喜田貞吉
世間から幾分賤視されてはいたであろうが、決して彼らのみが特別に穢れたものとして、
疎外されるという様な事はなかったに相違ない。ことにその賤視されたのは、必ずしも彼....
「来り人の地位と職業」より 著者:喜田貞吉
けたが、普通には役所向きでは見懸人ということに扱われ、民間では「筋」が違うとして
疎外される。それも「流浪人」であってみれば、我慢しなければならなんだことであろう....
「エタと非人と普通人」より 著者:喜田貞吉
もこれを忘れ、通称宿の八幡にその名を止めているだけであるが、その当時もエタの様に
疎外されていたとは思われぬ。しかも彼らは慶長十七年に片桐且元のお墨付を頂戴して、....
「エタ源流考」より 著者:喜田貞吉
である。彼らは幸いに普通部落内に住み着く事が出来たとしても、子々孫々来り人として
疎外されたものである。しかもその安住を得る迄に、生活の資を求むる事の困難は想像以....
「「特殊部落研究号」発行の辞」より 著者:喜田貞吉
達する特殊の一大部族これあり、彼らは同じく陛下の赤子にてありながら、一般社会より
疎外隔離せられ、最も気の毒なる状態の下に、不遇の生活を送りおり候う事、世人のひと....
「牛捨場馬捨場」より 著者:喜田貞吉
変らず旧来の習慣を墨守して、これを喰うことを避けなかったが為に、自然と一般民から
疎外せらるるに至ったのは実際やむをえなかった。はては自身屠者ならずとも、一般に牛....
「旃陀羅考」より 著者:喜田貞吉
一にするものである。 要するに我が国において、エタが特に穢れたる賤しき者として
疎外せられるに至ったのは、主として仏法の影響によるものであって、ことに彼らを同じ....
「賤民概説」より 著者:喜田貞吉
って、それは「下人」として賤しまれ、今に下人筋等と云って、社交上にも或る場合には
疎外されるのを免れない風習の地方もないではない。 平安朝における政治の紊乱が、....
「俗法師考」より 著者:喜田貞吉
研究の一部として、『大乗院寺社雑事記』から当時の大和の唱門の実際を探究し、世人の
疎外排斥を受けていたいわゆるサガリの徒も、本来は必ずしもそう筋の違った訳のもので....