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「瘍〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

瘍の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
お律と子等と」より 著者:芥川竜之介
を奪った。 「戸沢《とざわ》さんは何だって云うんです?」 「やっぱり十二指腸の潰《かいよう》だそうだ。――心配はなかろうって云うんだが。」 賢造は妙に洋一と....
白蟻」より 著者:小栗虫太郎
でもなく、その原因は四肢《てあし》の変形にあって、しかも形は、疑うべくもない癩潰《らいかいよう》だった。現に仏医ショアベーの名著『暖国の疾病』を操ってみれば判....
柿色の紙風船」より 著者:海野十三
は主として飢餓によるものと判明した。尚屍体の特徴として、左|肋骨の下に、著しい潰の存することを発見した。しかしその成因其他については未詳であるが、とにかく兇行....
海野十三敗戦日記」より 著者:海野十三
の時、弟の病は気になる。 ◯荒木夫人、田中君を養子に迎える件を白紙に戻して、胃潰をなおすために、甲州下部温泉へ向う。 十一月十八日 ◯岡東弥生さん、飯田氏へ....
神州纐纈城」より 著者:国枝史郎
て沢山はない。斑紋癩に天疱瘡、断節癩に麻痺癩がある。丘疹癩に眼球|癆、獅子癩に潰癩、だがおおかたは混合する」 「案外長命だというではないか」 「病勢が遅々とし....
潜航艇「鷹の城」」より 著者:小栗虫太郎
などで、皺が無数にたたまれているばかりでなく、兎唇、瘰癧、その他いろいろ下等な潰の跡が、頸から上をめまぐるしく埋めているのだった。 それらは、疾病放縦などの....
三筋町界隈」より 著者:斎藤茂吉
加答児。ゑ津。明治十三年十一月二十日生。死亡大正十四年四月二十二日。病名肝臓|腫。大一郎。明治三十四年八月八日生。死亡大正十四年二月九日。病名慢性気管支加答児....
自作肖像漫談」より 著者:高村光太郎
しても戦慄を感ずる。智恵子は到頭自宅に置けないほどの狂燥状態となり、一方父は胃潰となり、その年父は死去し、智恵子は転地先の九十九里浜で完全な狂人になってしまっ....
智恵子の半生」より 著者:高村光太郎
オバホルモンなどを服用させていた。私は一週一度汽車で訪ねた。昭和九年私の父が胃潰で大学病院に入院、退院後十月十日に他界した。彼女は海岸で身体は丈夫になり朦朧状....
誤った鑑定」より 著者:小酒井不木
その実、馬の毛では所要の目的は達せられないのです。即ち針毛の細片ならば消化管に潰を作って死因となることが出来ますが、馬の毛は却って消化液の作用を受け、潰を作....
安死術」より 著者:小酒井不木
ります。急性肺炎などの場合にはカンフルが奇蹟的に奏効することがありますが、悪性腫にはその種の奇蹟は起りません。しかも悪性腫に限って、苦痛は甚烈なのであります....
猫と村正」より 著者:小酒井不木
答えました。 「そうです」 「あれはグリオームという病気で、網膜に出来る悪性の腫なのです。子供に多いのですが、大人にもたまにあります、猫の眼のように光る時分に....
肉腫」より 著者:小酒井不木
けようが無い」 私は、肌脱ぎにさせた男の右の肩に出来た、小児の頭ほどの悪性|腫をながめて言った。 「それはもう覚悟の上です」と、床几に腰かけた男は、細い、然....
麺くひ」より 著者:桂三木助
払って帰り度くなる時が有る。喰べて見たら存外旨いそばの時には尚口惜しい。 胃潰の手術後、未だ思うように量が食えないことが何より残念です。特に「もり蕎麦」がネ....
春泥」より 著者:久保田万太郎
とされていた大部屋のある男が、ある日、突然血を吐いて倒れた。それが酒から来た胃潰。――そうした不治のやまいのわざと聞いてひそかにかれは慄然とした。――即日かれ....